バザールに迷い込む旅は、シルクロードの旅そのもの/旅行作家 下川裕治さんのシルクロード紀行

三蔵法師が歩いた道のりを、旅行作家の下川裕治さんが辿ります。3月21日(木・祝)に発売の最新刊『ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅』のために駆け巡った、壮大な旅の一端をご紹介します。

 

バザールに迷い込むシルクロードの旅

シルクロードは古道である。その歴史をさかのぼると、紀元前に辿り着いてしまう。

日本にも古道はある。例えば『古事記』や『日本書紀』に登場する。奈良時代のことだから8世紀である。それよりはるか昔につくられたシルクロードは、4世紀から8世紀にかけて全盛期を迎えている。

バザールに迷い込む旅は、シルクロードの旅そのもの/旅行作家 下川裕治さんのシルクロード紀行 1903_p065_01.jpg三蔵法師を追いかけて1万km!ちょっとインドまで行ってきます

 

そしてシルクロードは長い。中国から中東、ヨーロッパ......。さまざまなルートがあるが、起点の長安(現在の西安)から終点ともいわれるシリアまでの距離は7,000㎞を超えるといわれる。桁違いの歴史とスケールを秘めた古道なのだ。

今回はその道を辿ってみよう......。そう思ったわけではなかった。20年以上前から、ひとりの中国人の僧の旅に興味を持っていた。玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)──。中国の長安からインドのガヤ近くまで、3年をかけて旅をした。当時、インドのガヤは大乗仏教、特に唯識(ゆいしき)といわれる教理の研究が全盛だった。それを身に付けようと向かったのだ。彼の旅はその後、『西遊記』という壮大な物語になるのだが。

バザールに迷い込む旅は、シルクロードの旅そのもの/旅行作家 下川裕治さんのシルクロード紀行 1903_p066_05.jpg玄奘三蔵が歩いたシルクロードの旅。通った国は6カ国に及んだ。酷寒のタクラマカン砂漠、どこまでも続く草原の中央アジア、インドの炎熱列車......。長く、時につらい旅だった。その距離は1万㎞を超えた。

 

玄奘三蔵がインドに向かったのは7世紀である。そのルートを辿っていくと、ぴたりと重なってしまった。

シルクロードだった。

彼はシルクロードを馬に揺られ、時に自分の足で歩いていったのだ。彼が通った国は、いまの国でいうと、中国、キルギス、ウズベキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インドになる。そのルートはみごとにシルクロードと重なっていた。広大な草原、標高が5,000m近い峠。その中で人が進むことができる道はシルクロードだけだったと
いうことか。それだけ厳しい自然を通るルートでもあった。

バザールに迷い込む旅は、シルクロードの旅そのもの/旅行作家 下川裕治さんのシルクロード紀行 1903_p066_02.jpg

列車でトルファンへ。荒涼とした黄土高原を進む<武威(ぶい)駅>

 

玄奘三蔵はインドからの帰路もシルクロードを辿った。僕も彼が歩いたルートに沿って、ギルギットからカリマバードまで、乗り合いバスに揺られていた。窓際に座った男性が、深い谷に刻まれた崖を指さした。
「あれを見ろ」

そこには「OLD SILK ROUTE」と英語で書かれていた。妙な感動だった。玄奘三蔵が歩いた道をいま通っている......。

天山(テンシャン)山脈を越えてキルギスに入国した翌朝、僕はイシク・クル湖の岸に立っていた。玄奘三蔵もこの湖に沿って歩き、水は「辛く苦味がある」と記録している。その一文を思い浮かべながら、湖の水をなめてみた。それは辛さも苦味もない優しい味だったが、玄奘と同じように湖の水を味わっている自分がちょっとうれしかった。

バザールに迷い込む旅は、シルクロードの旅そのもの/旅行作家 下川裕治さんのシルクロード紀行 1903_p067_01.jpg天山山脈を越えてキルギスへ。峠を越えても同じ麺料理<トクマク>

 

しかしシルクロードは長い。いまは列車やバスを利用できるから、玄奘のように3年はかからない。だが、列車に2日も揺られ、まったく風景が変わらない砂漠を延々と眺め続けるバス旅を強いられる。70㎞以上も直線の道が延びている区間もあった。草原の道は気分も軽くなるが、一転、砂と岩の世界に入り込むと心が寒くなる。

駅やバスターミナルは、2~3時間に1回程度の割合で現れる。そこに近づくと、つい、車窓に見入ってしまう。ポプラの並木が視界に入り、その間に畑や果樹園がつくられている。

オアシスだった。玄奘もオアシスをつなぐ旅を続けたが、あの時代から約1,300年もたったいまも、オアシスを結ぶ旅だった。オアシス間の交通機関が、馬から列車やバスに変わっただけのことだ。

オアシスにはバザールがある。シルクロードの旅の休憩地はオアシスだが、正確にいうとオアシスのバザールだった。

バザールには食堂がある。果物や野菜、菓子類、衣類......なんでもあった。そしてバザールの周辺には宿が集まっていた。

バザールに迷い込む旅は、シルクロードの旅そのもの/旅行作家 下川裕治さんのシルクロード紀行 1903_p066_03.jpgウイグル人のバザール。色使い、派手<カシュガル>

 

シルクロードのバザールは、市場という日本語から連想されるものを超える役割を担っていた。シルクロードは交易の道である。運ばれた物資はバザールに持ち込まれ、売買されていった。絹は通貨にも匹敵する価値があったという。バザールが生む収益が、シルクロードに点在したオアシス国家を支えていた。

「バザールがあれば国家はいらない」
その言葉は、バザール自体が国家であることを示唆していた。

シルクロードの旅──。その連載の舞台をオアシスのバザールにした理由はそんなところにあった。タシケント、トルファン、クチャ、カリマバード、ペシャワール......。バザールに迷い込む旅は、シルクロードの旅そのものだと思っている。

バザールに迷い込む旅は、シルクロードの旅そのもの/旅行作家 下川裕治さんのシルクロード紀行 1903_p067_02.jpgタシケントのバザール。好きな場所

 

シルクロードのエリアの中で、中央アジアは女性でも気楽に訪ねることができるイスラム圏といわれる。現地の女性は欧米風の服装だ。酒も自由に飲める。

バザールに迷い込む旅は、シルクロードの旅そのもの/旅行作家 下川裕治さんのシルクロード紀行 1903_p067_03.jpgモスクにはアフガニスタン人もやってくる<ペシャワール>

 

空路の発達やビザの緩和で、旅の初心者でも簡単に、シルクロードのバザールに立つことができる時代になりつつある。

 

写真/中田浩資

 

 

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)さん

1954年、長野県生まれの旅行作家。『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。バックパックを背負いながらアジア中心に世界各国を歩いている。


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『ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅』

下川裕治 著 KADOKAWA / 900円+税

玄奘三蔵が歩いたシルクロードの旅。通った国は6カ国に及んだ。酷寒のタクラマカン砂漠、どこまでも続く草原の中央アジア、インドの炎熱列車……。長く、時につらい旅だった。その距離は1万㎞を超えた。

この記事は『毎日が発見』2019年3月号に掲載の情報です。

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