三蔵法師が歩いた道のりを、旅行作家の下川裕治さんが辿ります。今回の舞台はウズベキスタンの首都、タシケント。悠久の時を経て現在に残る、古代人の思いに迫りました。
今回の旅の舞台はココ、ウズベキスタンの首都、タシケントです。
放射状の市場が伝えるシルクロードの香り
タシケントのバザールには特等席がある。青いモスクのような屋根に覆われたこのバザールの2階に。
2階? 上の写真を見てほしい。左奥に大きなモニターが見える。そこから左右に延びるギャラリー階。実はここもクルミなどの木の実や乾燥させたアンズやイチジクがぎっしりと並ぶ市場。その前の手すりに身をあずけて見おろすと、バザール全体が視界に入る。僕はこの場所を特等席と勝手に決めている。
チョルスー・バザール。中央アジアのウズベキスタン。その首都、タシケントでいちばん大きなバザールだ。タシケントはシルクロードの交易の街だった。さまざまな物資が運び込まれた。その光景を特等席から眺めながら思い描く。
チョルスー・バザール。ドーム状の屋内に商店が軒を並べる。
バザールの内部は放射状につくられている。6本の通路が中心から外に向かって延びている。通路で仕切られた扇型のエリアは並ぶ品が違う。3区画を使っているのが羊肉コーナー。チーズ、キムチ、鶏肉やソーセージエリアがそれぞれ1区画。
中央アジアには韓国系の人が多い。だからキムチが定着? 中央アジアの人にはサラダ感覚。
羊のチーズが多い。100gなら20円もしない。
買い物袋を提げた客が、縦横に延びる通路を歩き、足を止める。その奥では羊の肉塊に男が包丁を入れているかと思うと、チーズ売り場の女性はケースの脇で寝入っている。
そんな光景をぼんやりと眺める。気がつくと1時間が過ぎていた。人と物が動くバザールは飽きるということがない。
シルクロードは紀元前にはすでにできあがっていたといわれる。最盛期は4世紀から8世紀にかけてだろうか。シルクロードにはいくつかのルートがあるが、タシケントを通っていたのは「オアシスの道」と呼ばれる隊商路だった。そしてこの交易を担っていたのが、幻の民族といわれるソグド人である。
拝火(はいか)教ゾロアスター教を信ずる彼らは、歌と酒を愛する快楽主義者だったともいわれる。
ウズベキスタンの男は一見武骨だが、手先は器用。
ウズベキスタンのパン。
ロバやラクダに積まれた物資は、いくつかの道を通ってバザールに運び込まれた。バザールの脇には、キャラバンサライと呼ばれる隊商宿ができあがっていく。このチョルスー・バザールに隣接してその施設があったのかもしれない。
シルクロードは勃興するさまざまな勢力に翻弄され、時にルートを変えて生き延びる。 ソグド人たちは、やがてこのエリアを席巻するイスラム勢力に追われていくことになる。
しかし彼らの精神は、何本もの道が交差するところにバザールをつくるという構造に残されていた。そこは物資と同時に資金や情報が集まり、支配力が生まれる。チョルスー・バザールが伝えるものは、その残り香......。「バザールがあれば国家はいらない」。
彼らはそう言いたかったのかもしれない。これが、何時間眺めても飽きない理由だろうか。
写真/中田浩資