まもなく、心待ちにしていた桜の季節。毎春、花を見上げて温かい気持ちになれるのは、花の咲かない時期にも樹に寄り添い、その命をつなぐ"桜守"がいてくれるからこそです。ご紹介するのは、佐野藤右衛門さんが守ってきた京都の桜。人と同じように、たくましく生き抜かんとする桜の物語です。
藤右衛門という名前を代々受け継ぎ16代目。佐野家は古くから京都市街の西に位置する仁和寺の領内に暮らし、庭師としての家業は、その植木や庭の手入れをしたことから始まったといいます。〝桜の道〟を歩み始めたのは14代目から。現・藤右衛門さんは、いい桜があれば全国どこへでも駆け付け、保存活動をしてきた祖父と父の仕事を継承する〝桜守3代目〟です。
佐野藤右衛門さん
「日本には分かっているだけで300種以上の桜がありますが、まだ新しい品種の桜が見つかるんやないかと、春、うろうろと全国の山を歩きます。それがいちばん面白いですなあ。
桜は小鳥や昆虫が花粉を運んで生まれる樹。または鳥が実を食べて、フンをして、土に落とした種がうまいこといけば発芽する。そやから、山では環境を見ます。小鳥や昆虫がおらんところに桜はおらへんからな」
――桜は、豊かな自然が残っている土地で生まれるのですね。
「突然変異で生まれるから、親が誰かは分からんこともある。たとえ同じ親から生まれても、環境やその年の気象が違えば変わってきます。人と同じでそれぞれに個性的や」
――そして、桜の命を絶やさないよう守る......。
「〝守(も)り〟してやらんと、自分の力だけでは増えへんのです。染井吉野や里桜のように種で残せないものは、人間が接ぎ木をしてやらんとあきまへんから、残したい桜の芽をそれを育てる台木(山桜か大島桜)に接いでやります。これも夫婦と同じで相性があって、うまくいかないもんもいっぱいありますわ。
大変だったのは、石川県金沢市の兼六園の300年を超える名桜・菊桜。枯れかけた樹の接ぎ穂を祖父がもらいに行ったけど大戦で枯れたか行方不明になったかでな。その後、1959(昭和34)年ごろに〝もういっぺん〟と頼み込んでまた親父がもらいに行って。接ぎ穂には水分が必要やから、水苔やぬれた新聞紙で包んだりして運んだけれど駄目。とうとう口にくわえて持ち帰り、接ぎ木しましたわ。医者は唾液に殺菌力があるから良かったのやと言うとりました。」
何十年分もの桜の花の写真と、その状態が記録された調査ファイル。「花びらをほどいて、寸法を測っていくのや。」
ほかにも科学で証明されない不思議なことはいっぱいあります。わしの誕生日に植えて育った枝垂れは4本あって、そのうち3本を円山公園に持っていったけれど、家に残した1本は、親父が亡くなった後に突然枯れましたわ」
――花の時期以外にも心に残る場面がたくさんあるのですね。
「花の営みを見続けているだけのことです。
そやけど、人間は勝手やで。〝次の日曜日は見頃だから、花見どうですか?〟なんて言いますやろ。そんなん花に土曜も日曜もない。桜に合わせちゅうんねん(笑)。五分咲き、満開とも言うけど、本当は桜に満開の日なんてない。たくさん咲いていても、1本の中にはつぼみもあれば先に散ったものもある」
京都市東山区・祇園 円山公園「大枝垂れ」
「〝ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ〟と西行が言うとりますやろ。桜は昔から、月が咲かせるのだと思うとります。樹齢90年を超えてなお月の下で咲くこの樹はな、わしと同じ日に生まれたもんや。」
この樹は2代目。名桜として親しまれた先代の種を取り、1928(昭和3)年に植藤造園で植えられ、育った4本のうちの1本。1947(昭和22)年に先代が枯れたのを機に、1949(昭和24)年、円山公園に3本が移植され、この樹のみが残った。花が咲くまで時間を要したが、花の季節にはいまも美しく咲き誇り、枝ぶりに色香をにじませ、多くの人を魅了している。
円山公園
住所:京都府京都市東山区円山町ほか
終日開放 無休 入園無料
交通:京阪電鉄祇園四条駅から徒歩10分
問い合わせ先:075-643-5405(京都市建設局南部みどり管理事務所)
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取材・文/飯田充代 写真/サダマツヨシハル(佐野藤右衛門さん)