『古事記』の語る有名な神話の一つに天孫降臨(てんそんこうりん)があります。天孫のニニギノミコトが高天原(たかまがはら)から筑紫の日向(ひむか)の高千穂の霊峰に天降(あまくだ)ったという神話です。ニニギノミコトはまもなく美しいコノハナノサクヤビメに出会います。山の神オオヤマツミノカミの娘で、「木の花」の神の名を持っています。
桜の語は用いられていないものの、この「木の花」は桜の花と考えられています。つまり、桜の花のように美しい女神というわけです。
宮崎市にコノハナノサクヤビメを祭神とする木花(きばな)神社があります。俳優の堺雅人さんが生まれ育った家の近くで、コノハナノサクヤビメが生んだ三皇子(海幸彦、山幸彦など)の産湯に使われたとされる「霊泉桜川」があります。余談ですが、堺さんも皇子の雰囲気がありますね。
『万葉集』にも、桜の歌が四十首以上あります。日本人がいかに桜を愛でていたか、歌を見るとよく分かります。
桜花時は過ぎねど
見る人の恋ふる盛りと
今し散るらむ (巻十)
中西進氏の訳をご紹介します。「桜の花は、まだ散る時期ではないが、見る人の恋しさの盛りが今だとて、散るのだろうか」(講談社文庫『万葉集』)。自分を見てくれている人の気持ちを思い、今の盛りに散ってしまおうという、けなげで可憐な花の心を歌った作です。散ることを惜しむ心が深く伝わります。
桜を愛した中世の歌人に西行(さいぎょう)法師がいます。一番有名な歌は『山家集(さんかしゅう)』の次の一首でしょう。
願はくは
花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月の頃
花と月を愛した西行は歌の通り二月十六日に亡くなり、人々を驚かせたそうです。
近代歌人の中で桜を多く詠んだのは若山牧水です。
うらうらと照れる光に
けぶりあひて
咲きしづもれる山ざくら花
『山桜の歌』の中の一首です。皆さんも、今年は桜の歌を詠んでみませんか。
<歌始入門>
短歌作品において意味や内容が重要であるのはいうまでもありません。しかし短歌は「うた」ですから韻律も大切です。
瀬瀬(せぜ)走る
やまめうぐひのうろくづの
美しき春の山ざくら花
若山牧水の『山桜の歌』の中の一首です。「やまめ」「うぐひ」はともに川魚で、春は産卵期で婚姻色になります。それが山桜の花の色と合いますね。意味の上からも美しいですが、注目したいのは「うぐひ」「うろくづ」「美(うつく)しき」と、「う」音を三つ重ねて調べをなめらかにしていることです。歌は意味と韻律の両方が大事ですね。
伊藤一彦(いとう・かずひこ)先生
1943年、宮崎県生まれ。歌人。読売文学賞選考委員。歌誌『心の花』の選者。