教養として学んでおきたい「日本史」。でも「少しはみ出したエピソード」を知っておくと、とたんに話題が豊かになるかもしれません。そこで、オンライン予備校「スタディサプリ」の人気講師である伊藤賀一さんの著書『笑う日本史』(KADOKAWA)より、面白くてためになる、そんな日本史の話をご紹介します。
秀吉の自己顕示欲が爆発した史上最大級の1DAY野外フェス!
北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)は、1587年に京都の北野天満宮がある北野の森で、関白・太政大臣の豊臣秀吉が催しました。秀吉は、朝廷や民衆に自らの権力を示すためティーパーティを企て、茶を振る舞うほか、自らが所有する茶道具も公開。当初、秀吉は10日間も開催する予定でした。遠方から参上する者に配慮したというのがその理由。
しかし、結果的には1日のみの開催となりました。「秀吉の自己顕示欲が1日で完結したから」「秀吉が多数の茶を点(た)てるのに疲れてしまったから」など、諸説あります。
北野大茶湯の開催は、画期的な出来事。このイベントには、老若男女、身分も関係なく参加できました。間違いなく、日本歴代最大のフェア(公正)なフェア(お祭り)です。農家に生まれ、織田家の足軽からのし上がった秀吉らしい発想ですよね。こんなことを考える権力者は、世界中を探し回っても、まずありえない。
さまざまな催しがあったようですが、背骨となっていたのは茶会でした。今でいえばフェスですよね。だって野外ですよ。各々が茶碗を持ち寄って、あちこちでお茶を飲む。器を持ってウロウロし、そこかしこで飲んで、場所によってはお茶菓子が出てきたり......。これって、ご当地グルメが一堂に会するBー1グランプリ!?
それにしても、千利休はこれを見てどう思っていたんでしょうね。え?「利休にたずねよ」って?
いや死んでますから想像しましょう。「わび」を重んじた利休は、堺の豪商だからかかえって質素が好き。成金・派手好きで「金の茶室」を造るような秀吉とは、どう考えてもウマが合わない。そりゃ、最終的に不和が生じ利休が切腹に追い込まれるのも、ありうる話かと。
<MEMO>
北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)
当初は1587年10月1日から10日間実施される予定であった。貴族・大名のみならず町人、百姓までもが参加でき、茶器のない者は代わりになる物なら何でも持参してよいとされていた。茶の心得がある者に対しては、秀吉自ら茶を点て振る舞ったという。
イラスト/おほしんたろう
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