教養として学んでおきたい「日本史」。でも「少しはみ出したエピソード」を知っておくと、とたんに話題が豊かになるかもしれません。そこで、オンライン予備校「スタディサプリ」の人気講師である伊藤賀一さんの著書『笑う日本史』(KADOKAWA)より、面白くてためになる、そんな日本史の話をご紹介します。
白バイ警官が暴走族総長へ転身!? 藤原純友のありえぬキャリアプラン
藤原純友(ふじわらのすみとも)は、摂関家と同じ藤原氏出身ですが、早くに父を失い京での出世が断たれ、伊予国(いよのくにー現在の愛媛県)の国司の3番手に納まり、瀬戸内海海賊取締まりに当たることに。
その後、任期を終えても現地に居座り続け、なんと海賊の頭領に! 日振島(ひぶりじま)を根城に周辺を荒らし回り、瀬戸内海全域に勢力を広げました。
当時の国司は警察組織を兼ねていましたから、暴走族を追う白バイ警官が、なぜか総長になったようなもの。
当時は摂関家のように特定の家柄でない限り、頑張っても出世は望めない。純友は、「中途半端な貴族でいるくらいなら」と、思い切って海賊のトップに転身したと考えられます。
ふつう貴族は、地方に下ると蓄財に精を出すものですが、それができるのは国司の1番手である「守(かみ)」や、代々地盤がある人だけ。純友の場合は3番手だし、地元に勢力があるわけでもない。他所(よそ)からきたノンキャリ役人では、蓄財も難しい。
もし彼が、父が存命でコネがあり京に残れていたら守りに入っていたかもしれませんが、不遇で孤独な環境に、変に刺激されたんでしょうかね。
以後、彼のドロップアウトぶりは半端ない。関東の平将門とほぼ同時期に乱を起こし、畿内にも迫りました。また、淡路国(現在の兵庫県淡路島)、讃岐国(さぬきのくにー現在の香川県)の国府を襲撃し、九州北部の大宰府まで襲撃。
最後は941年、討伐のため朝廷から派遣された源経基(みなもとのつねもと)と小野好古(おののよしふる)に、博多津(はかたのつー現在の博多湾)で壊滅させられました......。
<MEMO>
藤原純友(ふじわらのすみともー生年不詳~941年)
瀬戸内海の純友の反乱は、関東の将門と共謀したという俗説もあり、将門の乱と純友の乱を合わせ、「承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱」(939~941年)と呼ぶ。東西の二人が出逢い、話をしたとされるのが、京都府と滋賀県の境にある比叡山(ひえいざん)山頂付近の「将門岩」だが、現実味は薄い。
イラスト/おほしんたろう
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