【日本史豆知識】ブレーキ役を失ったから?老いた平清盛の暴れっぷりとは

教養として学んでおきたい「日本史」。でも「少しはみ出したエピソード」を知っておくと、とたんに話題が豊かになるかもしれません。そこで、オンライン予備校「スタディサプリ」の人気講師である伊藤賀一さんの著書『笑う日本史』(KADOKAWA)より、面白くてためになる、そんな日本史の話をご紹介します。

【日本史豆知識】ブレーキ役を失ったから?老いた平清盛の暴れっぷりとは pixta_13977490_S.jpg

金儲けも上手なやんちゃヒーローが息子の死後は暴走老人・平清盛

平清盛(たいらのきよもり)は、武士出身者として初めて太政大臣に任命され、平氏政権を樹立した人物。清盛が成り上がれた理由は三つあります。一つ目は保元・平治の乱に勝利した武力。二つ目は摂関家を模した外戚政策。娘の徳子を高倉天皇に嫁がせ、その子が安徳天皇となります。

三つ目が爆発的な経済力。そして、その経済力を支えたのが、父・忠盛(ただもり)の代から中国と積極的に展開した日宋貿易でした。

これがなぜ儲かったのでしょうか?

カギは、南宋の貨幣・宋銭(そうせん)です。宋銭は本来、国外持ち出し禁止だったのですが、清盛は持ち込めていました。

日本からの輸出品は、火薬の原料となる硫黄や、砂金、水銀、刀剣、漆器、扇など。また、清盛の出自である伊勢平氏の地元、伊勢国・志摩国(ともに現在の三重県)で入手した真珠も。貿易品を厳選し輸出していた清盛はすごい!

価値があるので、宋の商人は買ってくれる。そして清盛は宋銭を大量に入手できる。じつは日宋貿易の宋銭輸入から、日本にはようやく貨幣経済が浸透していったんですよ。

その後、平氏が源氏に滅ぼされるので、平清盛はどこか悲劇の支配者として描かれがちですが、本当は強者中の強者。臣下で最高職の太政大臣なのですから、源頼朝の右近衛大将(うこのえのだいしょう)+権大納言(ごんだいなごん―定員外の大納言)とは比較になりません。ましてや清盛は、安徳天皇の外祖父。

ただ、長男の重盛(しげもり)が病死してからは、下手を打ちまくっています。清盛は基本の育ちが荒くれ者の武士。しかし、貴族意識もきちんと併せ持つまともな長男がブレーキ役になっていた。

あれだけ世話になった後白河法皇を幽閉し院政をストップしたり、1180年、大輪田泊(おおわだのとまり)付近(現在の神戸港)の福原に突然遷都し、半年弱で京都に戻るなどという行為も、重盛が生きていればさせなかったはず。

ただ、少しかばっておくと、相当こたえたんでしょうね......。自他ともに後継と決めていた大切な子の早い死が。

 

<MEMO>
平清盛(たいらのきよもり―1118~81年)
後白河天皇(のち上皇・法皇)の下で近臣としてめざましい出世を遂げ、平氏政権を樹立。1179年以降、独裁政治を行い、さまざまな勢力から反発され、平氏打倒を叫び挙兵した源氏と争う中で病死。日宋貿易で莫大な財を築き、西国を中心に大権力を築き上げた。

 

その他の「笑う日本史」記事リストはこちら!

【日本史豆知識】ブレーキ役を失ったから?老いた平清盛の暴れっぷりとは cover.jpg縄文時代~平成に至るまで100の「笑える」エピソードを網羅!「合コンは古代から行われていた?」(弥生~古墳時代)、「森鴎外は極度の潔癖症で、超斬新な饅頭の食べ方をしていた」(明治~大正時代)など、つい誰かに話したくなるエピソードが満載です

 

 

伊藤賀一(いとう・がいち)

1972年京都生まれ。新選組で知られる壬生に育つ。洛南高校・法政大学文学部史学科卒業後、東進ハイスクールを経て、現在、リクルート運営のオンライン予備校「スタディサプリ」で高校倫理・政治経済・現代社会・日本史、中学地理・歴史・公民の7科目を担当。43歳で一般受験し、現在、早稲田大学教育学部生涯教育専修4年に在学中。著書・監修書に『世界一おもしろい日本史の授業』『「カゲロウデイズ」で中学歴史が面白いほどわかる本』『すごい哲学』(いずれもKADOKAWA)などがある。


5a2096c24889b9e3d4003710119b646796e72f8d.jpg

『笑う日本史』

(伊藤賀一/KADOKAWA)

「武田信玄が重臣に宛てたガチ恋ラブレターの現代語訳」「じつは戦に弱かった織田信長」「そんなに暴れん坊じゃなかった徳川吉宗」「西郷隆盛像と傍らにいるイヌのツンの作者は別人だった」など、意外と知らない「笑える日本史」を、スタディサプリの人気講師・伊藤賀一が紹介。「史実は小説より奇なり!」という言葉がぴったりの、笑えて教養も身につく注目の一冊です。

※この記事は『笑う日本史』(伊藤賀一/KADOKAWA)からの抜粋です。

この記事に関連する「趣味」のキーワード

PAGE TOP