教養として学んでおきたい「日本史」。でも「少しはみ出したエピソード」を知っておくと、とたんに話題が豊かになるかもしれません。そこで、オンライン予備校「スタディサプリ」の人気講師である伊藤賀一さんの著書『笑う日本史』(KADOKAWA)より、面白くてためになる、そんな日本史の話をご紹介します。
金儲けも上手なやんちゃヒーローが息子の死後は暴走老人・平清盛
平清盛(たいらのきよもり)は、武士出身者として初めて太政大臣に任命され、平氏政権を樹立した人物。清盛が成り上がれた理由は三つあります。一つ目は保元・平治の乱に勝利した武力。二つ目は摂関家を模した外戚政策。娘の徳子を高倉天皇に嫁がせ、その子が安徳天皇となります。
三つ目が爆発的な経済力。そして、その経済力を支えたのが、父・忠盛(ただもり)の代から中国と積極的に展開した日宋貿易でした。
これがなぜ儲かったのでしょうか?
カギは、南宋の貨幣・宋銭(そうせん)です。宋銭は本来、国外持ち出し禁止だったのですが、清盛は持ち込めていました。
日本からの輸出品は、火薬の原料となる硫黄や、砂金、水銀、刀剣、漆器、扇など。また、清盛の出自である伊勢平氏の地元、伊勢国・志摩国(ともに現在の三重県)で入手した真珠も。貿易品を厳選し輸出していた清盛はすごい!
価値があるので、宋の商人は買ってくれる。そして清盛は宋銭を大量に入手できる。じつは日宋貿易の宋銭輸入から、日本にはようやく貨幣経済が浸透していったんですよ。
その後、平氏が源氏に滅ぼされるので、平清盛はどこか悲劇の支配者として描かれがちですが、本当は強者中の強者。臣下で最高職の太政大臣なのですから、源頼朝の右近衛大将(うこのえのだいしょう)+権大納言(ごんだいなごん―定員外の大納言)とは比較になりません。ましてや清盛は、安徳天皇の外祖父。
ただ、長男の重盛(しげもり)が病死してからは、下手を打ちまくっています。清盛は基本の育ちが荒くれ者の武士。しかし、貴族意識もきちんと併せ持つまともな長男がブレーキ役になっていた。
あれだけ世話になった後白河法皇を幽閉し院政をストップしたり、1180年、大輪田泊(おおわだのとまり)付近(現在の神戸港)の福原に突然遷都し、半年弱で京都に戻るなどという行為も、重盛が生きていればさせなかったはず。
ただ、少しかばっておくと、相当こたえたんでしょうね......。自他ともに後継と決めていた大切な子の早い死が。
<MEMO>
平清盛(たいらのきよもり―1118~81年)
後白河天皇(のち上皇・法皇)の下で近臣としてめざましい出世を遂げ、平氏政権を樹立。1179年以降、独裁政治を行い、さまざまな勢力から反発され、平氏打倒を叫び挙兵した源氏と争う中で病死。日宋貿易で莫大な財を築き、西国を中心に大権力を築き上げた。
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