教養として学んでおきたい「日本史」。でも「少しはみ出したエピソード」を知っておくと、とたんに話題が豊かになるかもしれません。そこで、オンライン予備校「スタディサプリ」の人気講師である伊藤賀一さんの著書『笑う日本史』(KADOKAWA)より、面白くてためになる、そんな日本史の話をご紹介します。
オネエ文体にもギャグにも深い意味
笑いに隠された『土佐日記』涙の真実
『土佐日記』は、紀貫之(きのつらゆき)が国司を務めていた土佐国(現在の高知県)から京に帰る最中に起きた出来事を、おもしろおかしく綴った平安時代の日記文学です。
この作品は、仮名文字で書かれた初の日記ですが、当時、貴族たちの宮中文書(もんじょ)などに使われていた真名(漢字)に対し、仮名(カタカナ・ひらがな)は女性が主に使っており、漢字を「男手」、ひらがなを「女手」と言うこともあります。つまり『土佐日記』は、女性目線で書かれているんです。
ここで浮上してくるのが、紀貫之=オネエ疑惑ですが、彼はそんなつもりで書いたわけじゃありませんでした。オネエ言葉は、本人のクセでもギャグでもないんです。『土佐日記』は、全編を通して子を失った悲しみがあふれています。じつは、紀貫之夫妻は赴任先の土佐で愛娘を失っているんです。その悲しみがあまりに深く現実を直視しづらいため、自身の日記という形にはできず、第三者の侍女が書いた体裁にしました。
作中には何度も娘の話題が登場し、思い出しては落ち込んでいます。子がない状態で土佐に行った従者たちは、帰京時には子を連れている。なのに、自分たち夫婦は逆に子を失ってしまった......。それを侍女の目線で述懐しています。ギャグを織り交ぜているのも、おそらくは悲しさを忘れるため。
特筆シーンは、京に帰ってきた場面。
数年間の留守中に屋敷の管理を頼んでおいた隣人が完全に怠っていて、荒れ果ててしまった。そんな屋敷の庭で、亡くした子どもが毬(まり)遊びをしていたことを思い出し、夫婦でむせび泣く。ここが『土佐日記』のハイライト。旅の道中よりも、到着後にこそこの作品の真髄がある。娘を失っただけでなく、隣人にも見放されてしまった。そして、自身は次の官職が決まっていない。華やかな京の都にあって、寄る辺ない夫婦の哀愁が感じられます。
紀貫之は文才が群を抜いていたので、編者として参加した『古今和歌集』序文のうち仮名のもの(仮名序)を任されてもいます。それほどの人だからこそ、『土佐日記』では悲しみを笑いに昇華できた。こんなに泣ける作品はありません。ぜひ読んでみてください。
<MEMO>
紀貫之(きのつらゆき―生年諸説あり~945年)
935年ごろに書かれたとされる『土佐日記』は、完本として伝わる日本日記文学としては最古。『古今和歌集』以下の勅撰和歌集には400首を超える和歌が入っており、当時、歌人としては最大級の敬意が払われていた。
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