哲学者・岸見一郎さんによる「老い」と「死」から自由になる哲学入門として、『毎日が発見』本誌でお届けしている人気連載「老後に備えない生き方」。今回のテーマは「過去を変えよう」。過去の記憶への向かい合い方、そして過去を手放す方法について、そして読者からの相談に対して、岸見さんはどのように考察されたのでしょう――。
※「」の太字部分が読者からの相談です
「夫81歳、私71歳。四年ほど前から夫の様子が変だと感じ脳ドックを受けたところ、認知症と診断されました。海馬が縮小し、記憶が二十年分ほどありません。この先不安です」
二十年分の記憶がないという現実を受け入れるところから始めるしかない。
私の父も認知症と診断され、海馬が委縮している写真を医師から見せられたことがある。父は四半世紀共に暮らした母のことを忘れてしまった。もしも母が長生きし、自分のことを父が忘れてしまったという現実に直面していたらそれをどう受け止めただろうかと想像することがある。
共に暮らすと苦労も多々あったであろう。結婚した頃は母と父の親との関係がうまくいかず苦労したことを、母が亡くなってずいぶん経ってから父から聞かされたことがあった。
その頃のことをずっと覚えているのはつらいが、人生を共にしてきた相手がそれをすべて忘れてしまったことを、さらには、自分のことまでも忘れてしまったことを知った時の悲しみはいかばかりかと思う。
相談に戻ると、記憶がないことを嘆き悲しんでも、そのことで記憶が戻ることはない。忘れてしまった過去を思い出させようとしても甲斐はない。記憶を失った夫とどう生きていくかを考えることだけが今できることである。日々この人と初めて会うのだと思って生きてほしい。