歩くことは健康づくりの第一歩。効果的な歩き方をすれば、何歳からでも体力や筋力をつけて若々しさを保つことができ、生活習慣病の予防・改善につながります。心と体を整えて、自分が豊かになる! そんな歩き方の極意を、曹洞宗徳雄山建功寺住職の枡野俊明さんに伺いました。
歩いて日々の移ろいを知る。それは、世の真理を知ること
「お釈迦様が修行の旅に出て悟りを得たように、自然の中を歩くことは、心を整えることにもつながります」と、禅僧の枡野俊明さん。枡野さんの一日は、毎朝、寺の門扉を開けながら、境内をぐるりと30分ほど歩くことから始まるそうです。
「毎朝歩いていると、日々、景色が変わり、風が変わり、季節の移ろいが手に取るように分かります。時は刻々と移ろい、何もかも変わっていくことを、仏教では諸行無常といいますが、それは私たち人間も同じ。日々、変化していくのが私たちの命であり、一生です」
ところが人間は、自分の都合で変化を止めようとしたり、何でも自分の力で生きていると考えがちです。そこに、苦しみや悩みを生む根本原因があるのだと枡野さん。
「人間こそ万能であり、この世を動かしていると考えている人は、お金を稼げるのは自分の力であり、評価されるのも自分の力だと考えています。しかし、そういう人は、夢がかなわなかったり、望む評価が得られなかったときは、全て周りのせいにするようになります。それでは、豊かな人生とは言えません。
私たち人間は、自分の力だけで生きているわけではありません。心臓を自分の意思で動かしているわけではありませんし、体内を流れる血液も、自分の力で流しているわけではないのです。生きていることがすでに、ありがたい奇跡のような、自分を超えた力ですね。仏教では、そうした力を『仏』、あるいは大宇宙の『真理』というのです。
人間も自然界の一部であり、自然の中で生かされているという真理に気付くと、感謝の心が生まれます。感謝の心が持てるようになると、自分の都合ばかりを優先するのではなく、人の役に立つことや人を生かすことを考えられるようになる。それが、心が整うということ。自然の中で生かされている自分に気付くと、執着がなくなり、生き方が変わります」
心を無にして歩くと自然の声が聞こえてくる
心を整えるために禅僧たちはさまざまな修行をします。
その代表的なものが、「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」。行く、住まう、坐る、寝るという日常の立ち居振る舞い全てが心を育てる修行とされ、この四つの修行は「四威儀(しいぎ)」と呼ばれます。
「威儀を正す(礼儀作法にかなった振る舞いをすること)」という言葉も、実はこの禅語からできたものだとか。「『行く』には、歩くという意味だけでなく、心をどこに置いて行くか(歩くか)、という意味があります。
自然の中を歩いていても、頭の中が悩み事や迷い事でいっぱいになっていたのでは、花が咲き、鳥がさえずっていることにも気付きません。歩いているうちに雨や雪に降られ、『困った、参った』とマイナスなことばかり考えていたのでは、雨や雪の美しさにも気が付かないでしょう。
最初はそれでもいいと思います。
修行僧も、最初は歩くのがつらい、苦しいから始まります。しかし歩き続けているうちに、自然の営みの前では人間がいかに小さなものか分かってきます。「薫風自南来(くんぷうじなんらい)」..."花が咲き、蝶が舞うかぐわしい風は、自ずと南から吹いてくる"という意味の禅語です。自然とは、時が来れば自ずと景色を変えるもので、人間が計らい事をしても意味がないということですね。
歩いていて、ふっと風が変わったときに自然の力に気付く。大きな力に生かされていることに気付く。やがて、坐禅をするときと同じように、余計なことを考えずに歩くことができるようになると、自然の声が聞こえてきます。草木や雨粒の声に耳を澄ませるようになることは、広い心で人の言葉に耳を傾けられるようになるということ。そうした心が整えば、周囲の人も自分自身も、よりよく活かせるようになるのです」
呼吸を整えて歩くことで体も整います
坐禅をするときは、初めに息を全て吐き切ってから、新しい空気を体に深く入れるように鼻から吸い、口からゆっくりと吐くのが基本だそうです。歩くときも、深い呼吸を心掛けることが心と体を整えることにつながると枡野さん。
「呼吸を大切にしなさいというのは、もともとお釈迦様の教えです。深い呼吸をすると内臓が動き、健康になる。歩きながら新鮮な空気を吸って深い呼吸をするのは、何よりの健康法だと思います。歩くなら、空気が澄んだ朝がいいですね。できれば毎朝が理想ですが、続けることが負担になってしまったのでは意味がないので、週に1回からでもいいと思います。まず、歩いてみる。できれば100日続けてみる。それができたら1年続きます。そして、できるだけ長く続けてほしいですね。
いまや人生100年時代。定年後が非常に長くなりました。
一昔前、定年後を『余生』と言いましたが、それは違います。60歳を過ぎ、自分が好きなことができるようになってから、本当の人生が始まるのです。60 代、70代、80代、幾つになっても健康で、自分の好きなことをしながら社会の役に立ち、自然の中で生かされていることに感謝し、支えてくれる人に感謝しながら毎日を過ごす。そうした人生こそ、本当に豊かな人生ではないでしょうか。
朝露の中をゆっくりと呼吸しながら歩いていると、季節の変化だけでなく街の変化にも気が付きます。外に出ることは、新しい情報を得て興味を広げることにもつながります。今日できたことは明日もできます。100歳まで歩き続けられたら、素晴らしいと思います」
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取材・文/丸山佳子 撮影/齋藤ジン