毎日イライラ・・・でも続けなきゃ。「親の介護」を一人で抱え込む前に/先に亡くなる親とアドラー心理学

なぜ一人でかかえこんでしまうのか

親の介護をめぐって起こる事件の報道に接すると、なぜ介護を一人でかかえこんだのか、他に介護を代われる人はいなかったのだろうかといつも思います。

実際には、短い時間ならともかく、「事実上」他の誰も介護を代われない状況にあったのだろうと今はわかります。

介護を代わることが可能であるということと、実際に代わるということとは違います。

子どもが小さかった頃、義母が助けが必要な時はいつでも行くからといつもいってくれました。

幸い、子どもたちが急に熱を出すというようなことはほとんどありませんでしたが、いざ子どもが病気になり、それなのに私が仕事で出かけなければならず、今こそ子どもを見てもらおうと思って連絡してみても、義母は仕事をしていましたから急に頼んでもきてもらうことはむずかしかったです。

こんなことが一度でもあると、義母には頼れないのだと当てにはしないようにしようと思ってしまいました。

もっと他の人に助けを求めたらいいではないかと誰もがいいます。

本当にそのとおりです。

しかし、そうできたらいいと思ってみても、現実には、他の人が代われないことはあります。

「子どもはあなただけではないでしょう」「他にきょうだいがいるでしょう」そんなふうにまわりの人はいいます。

しかし、実際には、子どもが皆同じように介護ができるわけではありません。

親と離れて暮らしていれば介護することは困難です。

海外に赴任中であれば、親の介護はできません。

介護ができない理由を探すのはPTAの役員選挙の時のようです。

役員を引き受けられない理由を見つけられない人は役員をすることになりますが、それでも通常一年で御役ご免になりますが、介護はそういうわけにはいきません。

父よりももっと大変なケースがあるではないかと思うことも、介護を一人でかかえこませることにさせます。

私は、昼間は目が離せないといっても、夜は一人でいられるではないかとか、寝たきりではないから、これくらいのことで介護が大変だといったら、もっと大変な介護をしている人はどう思うだろうかなどと考えてしまいました。

また、食事は自分では作れませんが、用意さえすれば私が介助しなくても食べられるではないかとも思いました。

こんなふうに思うと、これくらいで音を上げてはいけないと思ってしまいました。

しかし、実際には、要介護の度合いに関わりなく、介護はいかなる場合も大変なのです。

そのことを率直に認めていいと思います。

介護においては他の人と比較することは意味がありません。

いずれの場合も固有の大変さがあるからであり、介護認定の調査や、施設の入所時にするように、要介護度を点数で表せるわけはありません。

そんな中、介護は自分がするしかないと思って、介護を一人でかかえこむ人がいます。

上野千鶴子は、「意地介護」という言葉を使っています。

「意地でやる介護であればあるほど、完璧に一生懸命やろうとして自分で自分の負担を大きくする傾向があるようだ」(上野千鶴子『老いる準備』)

上野は、女性は「嫁」の立場でこの意地介護をして自分を縛っているのに、自分の親の介護の時には向きにならないといっていますが、私は息子なのに意地で父の介護をしていると思っているところがなかったとはいえませんから、性別や立場を超えて「意地」介護をする人は多いでしょう。

介護サービスを利用したり、施設に親を預けることにはたしかにお金がかかります。

また、自分が見たほうが他人が見るよりいいと考える人もありますが、長期的に見れば大変です。

子どもは三歳までは預けずに親が見るべきだという考えが今なおあるのとよく似た状況のように私には思えます。

しかし、介護が大変であること、そのことを私も身にしみて経験しましたから、あえて厳しいことをいうことを許してください。

意地で介護をするのであっても、親の介護ができればいいのですが、親の介護を一人でかかえこんでしまい、自分ではどうすることもできなくなり、追い詰められてしまって、介護を結局のところ放棄することになってしまうことは、無責任の誹りを免れません。

そんな形で介護を投げ出すことになる前に、他者に介護をすべてではなくても一部でも任せること、また介護サービスを利用することを検討してほしいのです。

【次回】「お前のカウンセリングを受けたい」介護で生まれた新たな親子関係/先に亡くなる親とアドラー心理学

【まとめ読み】『先に亡くなる親といい関係を築くためのアドラー心理学』記事リスト

毎日イライラ・・・でも続けなきゃ。「親の介護」を一人で抱え込む前に/先に亡くなる親とアドラー心理学 172-c.jpgアドラーが親の介護をしたら、どうするだろうか? 介護全般に通じるさまざまな問題を取り上げ、全6章にわたって考察しています

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)
1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)、『老いた親を愛せますか?』(幻冬舎)、『老いる勇気』(PHP研究所)、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

172-c.jpg

『先に亡くなる親といい関係を築くためのアドラー心理学 』

(岸見一郎/文響社)

介護に勇気を与えてくれるアドラー心理学! 親の尊厳は保ちたいけど、介護に忙殺されるのもつらい…。親の介護が必要となったとき、それまでとは違った「親子関係」を築いていくことになります。じゃあそれって、いったいどんな関係がいい? 自身の介護経験を基にアドラー心理学の探究者が、介護に起こるさまざまな問題を“哲学”していきます。

※この記事は『先に亡くなる親といい関係を築くためのアドラー心理学 』(岸見一郎/文響社)からの抜粋です。
PAGE TOP