親の介護で疲弊する子、こじれる関係...。さまざまな問題を抱える家庭での介護ですが、認知症を患った実父の介護の中で、専門とするアドラー心理学に「親との対人関係上の問題について、解決の糸口を見いだせる」と哲学者・岸見一郎さんは感じたそうです。今回は、そんな岸見さんの著書『先に亡くなる親といい関係を築くためのアドラー心理学 』(文響社)から、哲学者が介護者の目線で気づいたことをご紹介します。
知らないうちに父に起こっていた異変
父は長年一人暮らしだったこともあって、近くにいなかった私は父の状態をきちんと把握できていませんでした。
物忘れがひどくなったという訴えは以前からありましたが、年のせいだと思っていました。
身体の不調を訴えても、そのことを重大なこととして受け止めていませんでした。
概ね、問題なく暮らせていると思っていました。
ところが、火の不始末、交通事故、お金を使い果たすというようなことが立て続けに起こり、初めて父の異変に気づきました。
一緒に住んでいればもっと早くに気づいていたに違いない異変はずいぶんと前から始まっていたのでした。
帰ってきてから二カ月ほど経った時、父は体調を崩しました。
常とは様子が違うので翌日受診したところ、すぐに入院することになりました。
父が長く患っていた狭心症ではなく、貧血が悪化していたのです。
結局、この貧血が何に由来するのかわからないままに、二カ月入院しました。
この入院中に脳のMRI検査(磁気共鳴映像法)を受け、アルツハイマー型の認知症を患っていると診断されました。
画像を見ると、たしかに脳全体と海馬が萎縮していました。
身体の病気ですから、検査結果がよくならなければ主治医は退院を認めなかったでしょうが、その頃、もしも認知症についてもっと知っていれば、症状が落ち着いたらすぐに退院させたと思います。
入院中肺炎にもなりましたから、二カ月の入院が徒に長いものであったわけではありません。
それでも早く退院できる方向で医師に働きかけることはできなかったわけではありません。
そうしなかったのは、介護を始めて二カ月で早くも根を上げそうになっていて、可能な限り長く入院していてほしいと願っていたので、積極的に退院に向けて医師に働きかけなかったのです。
毎日病院に通うのは大変でしたが、父が入院している間は、父が戻ってくる前のように、夜は安心して眠ることができました。
ところが、退院後の父の衰えは取り返すことができないように見えました。
退院後間もない頃の混乱はやがて落ち着きましたが、前の状態にまで戻るのにはかなり時間がかかりました。
後に読んだ本で、数日の入院生活でも生活に支障をきたすことがあるので入院には慎重でなければならないことを知りました。
父は、退院した時、父が前に住んでいた家から連れてきた愛犬のことをすっかり忘れていました。
父が入院している間も、私は毎日病院に通い、父の家にも朝と夕方必ず行って犬の食事の世話と散歩をしていましたが、やがて犬の世話が負担になり、妹一家に犬の世話を任せることにしました。
入院中は父にはこのことは伏せておくことにしました。
病院に行くと、時折、犬の夢を見たというような話をしていましたから、退院して家に帰った時に犬がいなければ怒るだろうと思い、犬がいないことをどう説明したものか思案に暮れていましたが、病院から帰ってきた時、父の晩年の伴侶というべき犬のことは父の記憶からすっかり消えていたのです。
しかし、父が戻ってくる前の異変については話としては聞いていたものの、父に起こっている異変を示すこれほど明白な出来事は入院する前の二カ月にはなく、退院後初めて目の当たりにしました。
一人では買い物も食事の用意もできないので、昼間、私が父のところへ通いました。
父の家は私が住んでいるマンションからは歩くと15分くらいの距離のところにあります。
ですから、用事があると帰っていました。
週に一度姫路の大学に出講する日は、父が一人で食べられるように弁当を用意し、夕方まで一人にさせていました。
しかし、もしも父の病気についてよく理解していたら、昼間長い時間一人にさせることはなかったはずです。
それでは、父の異変にまったく気づいていなかったかといえばそうではありません。
例えば、入院する前も、今し方、犬と散歩に行ったばかりなのに、すぐにまた散歩に出かけるということがありました。
また、食事をしたことを忘れることもありました。