やっと認知症の病院に。嫌がる母をどうやって連れて行く?/うちの親にかぎって!

こんにちは、松風きのこです。4年前に母が認知症なのでは?と気づいてから、実家の福岡と東京の遠隔介護に至るまでの日々を思い出しながら書いています。

母は認知症の病院に行くことは断固拒否。そのうえ体のあちこちが痛いといって寝てばかりいるので、まずは体の痛みだけでも治せればと、テレビに出ていた名医に診てもらうため東京に呼び寄せました。しかし名医は「どこも悪いところはない」と驚きの診断を!! いきなりすることがなくなった...。そうなると、残る課題は認知症の病院に行くことだけ。でも本人が行きたがらないものを、どうやって連れて行けばいいのでしょう...。

やっと認知症の病院に。嫌がる母をどうやって連れて行く?/うちの親にかぎって! pixta_27613095_S.jpg前の記事「いよいよテレビで観た名医に母を診てもらう日が来た!藁をもすがる思いで来たのに、衝撃の診断結果が.../うちの親にかぎって!」はこちら。

 

「あんなとこ、入ったら二度と出てこられんのやけ!」頑なな被害妄想の母に、またしてもテレビの助けが!

そもそも認知症の病院に行くことは地元にいるときから勧めていたのに、どうして行かなかったのか。自分はまだそんな(病院に行くほど)じゃない、体裁が悪い、認知症=精神の病→即入院→ずっと施設に閉じ込められる...というような誤解や被害妄想も大きく、「あんなとこ入ったら出てこられんようになる」という思い込みがあるようでした。今になって思えば、母自身にも「認知症かもしれない」と思い当たるふしがあるからこそ怖かったのだと思います。

しかし私だってネットや本で調べただけの付け焼き刃の知識で、脳外科?精神科?何科を受診すればいいのか、どうやって診断するのか等、何も分かっていないのです。説得すればするほど母は頑なに閉ざしてしまい、険悪なムードに...。

そんな折、またしてもタイムリーなことに、テレビの健康番組で認知症の特集が!(テレビって、ありがたい!)
内容は軽度の認知症についてで、30代40代でもなりうること、そして自分でできるチェック項目などが放送されていました。その中に、人に背中に「ス」「マ」「ヌ」の文字をランダムに書いてもらって当てるという、簡単な診断方法が紹介されていました。

さっそく母にやってみたのですが、「いやよ~そんなの~」と言いながらも、

母、間違えない...。

何回やっても1回も間違えない。こんなはずでは...。

これで間違えてくれれば簡単に説得できると思ったのに、困った。他のチェック項目には当てはまるものがいっぱいあるのに。でもちょっと待って。
・「あれ」「これ」で話す
・外出が減った
・服装などに無頓着
などなど、あれ?私にも当てはまるものがいくつも!
マズイ...実はうすうす感じてたけど、私もそうなんじゃないか?

そこで今度は私の背中に母に書いてもらいました。
「ス」...「マ」...どきどき。間違えた!そう、間違えてしまったのです。
ナイス自分!ていうか、 大丈夫か自分!?

やっと認知症の病院に。嫌がる母をどうやって連れて行く?/うちの親にかぎって! up第15話.jpg 

いえ、最初からだまそうと思っていたわけではないのです。
ただ1回間違えたときに、「そうだ、このままあえて間違えてみよう...」と思いついたのは内緒ですが(笑)。

「私も若年性認知症が心配なの」と逆に"付き添ってもらう"テイで病院に行く同意を勝ち取った!

そこで深刻そうに母に言いました。
「じつは...私、前々からそうかなと思うことはあったけど、病院でちゃんと調べてもらおうかな。1人で行くのは怖いし心細いから、お母さん一緒に来てくれん?」。
母「そうよね...きのこは子供の頃から忘れ物がひどかったけんね...。こんなふうに育てたお母さんにも責任があるし...うん。心配やけ、一緒に行こう」。
やった!私、昔からできの良い人間でなくてよかった!! (←?)
そう、じつは母が東京に来てからも、忘れ物や無くし物、間違いなど、小さな失敗を頻発していたのが説得力を増しました(それはわざとではない)。

こうして私の受診に付き添ってもらうというテイで、母のプライドを尊重しながら同意を得ることに成功したのです。あとは病院に行きさえすればこっちのもの、ついでといって母も検査してもらおう。なんだかちょっと複雑だけど...このさい手段は選んでいられないのです!

次の記事「認知症テストも憮然とした態度。そしてほぼ正解。母、やればできるの?普段はわざとやらないの?/うちの親にかぎって!」はこちら。 

「うちの親にかぎって!」他の記事はこちら。

イラスト/にのみやなつこ

 

 

松風きのこ(まつかぜ・きのこ)さん

大学進学で上京し、広告制作会社でコピーライターを経験したのち、広告、雑誌を中心としたフリーライターに。父(82歳)母(81歳)は福岡在住。5年前、父が頸椎の手術をしたのを機に、それまで年に1週間程度だった帰省を3~4ヵ月間に増やし、さらに母が認知症と分かったため、東京と福岡を往復しながら遠隔介護中。母が認知症だとは気づかずに過ごした数年の間に、周囲がみんな逆効果の対応ばかりしていたことに思い当たり、この体験記を書くことに。

この記事に関連する「ライフプラン」のキーワード

PAGE TOP