「他者の痛みに対してできること」【哲学者・岸見一郎さんが語る】

月刊誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「他者の痛みに共感するために」です。

この記事は月刊誌『毎日が発見』2024年1月号に掲載の情報です。

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個人的な苦痛

『医師ヨハン』というドラマに、無痛症の医師がペインクリニックで診療しているという話が出てくる。傷を負ったら普通痛みを感じるが、この医師は痛みをまったく感じない。痛みを感じない医師が治療することはできないのではという抗議が病院に殺到する。しかし、痛みを感じない医師は痛みのある人の治療はできないというのは正しくない。なぜなら、痛みを感じる医師でも、自分の痛みは感じるが、患者の痛みを感じることはできないからである。

腕に注射針を刺される時のような一瞬の痛みであれば耐えられても、身体のどこかに長く痛みを感じ続けることになると、身体の痛みは苦痛になり、苦しみになる。このような苦痛を理解することはさらに困難である。

キム・ヨンス(※1)の小説に、次のような言葉がある。

「私は母のおかげで、生と死の間には苦痛があるということを知った。まったく個人的な苦痛。母が死んだその瞬間まで、私は意識のない母の手を撫でながら声が嗄(か)れるまで愛しているといったが、その最後の瞬間にも、私は母の苦痛だけは理解できなかった。苦痛よりは死の方が理解しやすいようで、いざ母が息を引き取った後は、それまで病床に横たわっていた母との距離感はなくなった。共感できなかったという点で、苦痛は明らかに母と私の間を隔てていたが、死はそれほどではなかった」(「네가 누구든,얼바나 외롭든(君が誰であれ、どれほど孤独であれ)」)

苦痛が個人的であるというのは、他者の苦痛は理解できず共感できないという意味である。死の方が理解しやすいというのは、死は誰もが死ぬという意味で普遍的なものだから、理解できず共感できない個人的な苦痛よりは理解できるという意味である。

キム・ヨンスの別の小説には、スーザン・ソンタグ(※2)の名前が言及されている。

「スーザン・ソンタグは、他者の苦痛を見る時は『私たち』という言葉を使ってはいけないといった女性なんだけど、小説家でも批評家でもあって、私たちの国でも何冊かの本が......」(「달로 간 코미디언(月に行ったコメディアン)」)

「その女性がいうには、苦痛と『私たち』は同時に存在できないという話で、通じ合えば苦痛はないのだ」(前掲書)

「私たち」が同じ苦痛を感じることはできないということである。通じ合えば苦痛はない。しかし、実際には、自分の苦痛は他者に理解されず共感もされない。自分も他者の苦痛を理解できない。そのような苦痛は自分と他者の間を隔てる。孤独は他者の苦痛の理解不可能性に由来する。

スーザン・ソンタグ自身は、「私たち」という言葉を自明のものと考えることを拒み、次のようにいっている。

「主題が他者の苦痛を見ることである時、『私たち』という言葉は自明のものとして使われてはならない」(Regarding the Pain of Others )

戦闘員ばかりか子どもをも含む民間人の殺戮まで記録した写真を見て苦痛を感じない人はいないだろう。しかし、それを見た誰もが戦争を憎み戦争に反対するようになるわけではない。敵国に対しての戦意をかき立てることにもなる。

※1 1970年〜。韓国の小説家。著書に『七年の最後』『世界の果て、彼女』などがある。
※2 1933〜2004年。アメリカの小説家、批評家。著書に『イン・アメリカ』『他者の苦痛へのまなざし』などがある。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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