せっかく迎える「第二の人生」、イライラ・クヨクヨしていてはもったいない! 見えない将来に不安ばかり抱き、ひたすら悩みを膨らませているシニア世代のために、より楽にすがすがしく生きていくための心の持ち方を伝授します。
※この記事は『精神科医が断言する「老後の不安」の9割は無駄』(保坂隆/KADOKAWA)からの抜粋です。
前の記事「「もう○歳」を「まだ○歳」に!「老い」は「成長」と考えていい/老後の不安の9割は無駄(1)」はこちら。
「老人力」は、実はすごい
1998年に赤瀬川原平さんの書いた『老人力』(筑摩書房)というベストセラーが話題を集め、流行語大賞まで受賞しました。
「えっ、そんな本があったっけ。聞いたような気はするけど、覚えていないな」と思ったなら、あなたには十分な「老人力」が備わっているようです。
この「老人力」という言葉は、実は老人の力をほめるのではなく、むしろ老人の能力の衰えや、いい加減さを正当化したような言葉です。
この本には「老人力とは、物忘れや繰り言、ため息など、従来はぼけやヨイヨイとして忌避(きひ)されてきた現象に潜む、未知の力をいう。二〇世紀末に発見され、日本中に賞賛と感動と勘違いを巻きおこし、国民を脱力させた恐るべき力である」とユーモアたっぷりに記されていますが、いままでとはまったく異なるこの老人評が、私たちの意識に少なからず影響を与えたことは間違いありません。
実際には、あいつもすっかりモーロクしたというかわりに、「あいつも老人力がついてきたな」といったり、お前もだいぶボケたなというのを、「お前もかなり老人力がついてきたじゃないか」 と表現するわけです。
老人の心身の衰えを茶化しているように見えますが、実際、物忘れや繰り言も老年に達してこそ身につく新しい能力のひとつです。その力を生かせば、ゆとりや遊びの精神を持って生きられることを表わしているのではないでしょうか。
この「老人力」を生かして暮らせば人生の気楽さは増しますが、そこにユーモアがなければ偏屈(へんくつ)な老人のひとりよがりになる。日常で老人力を使うとすれば、聞きたくないことを聞こえないことにする、見たくないものを見えないことにする、やりたくない用事を忘れたことにするなどの「老人のフリ」でしょうか。
いずれにしても、「ちょっとくらい目や耳が弱っても平気」とか、「多少物忘れが増えてもたいしたことない」という気持ちが大事なのですね。ちょっとしたユーモアを交えられれば、「老人力」は人生を彩るアクセントになりそうです。
次の記事「衰えを否定せず若さも保つ「80%主義」のススメ/老後の不安の9割は無駄(3)」はこちら。