2016年9月、医師から「肺がんステージ4」という突然の告知を受けた刀根 健さん。当時50歳の彼が「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)。31章までの「連日配信」が大好評だったことから、今回さらに公開するエピソードを延長。第一部のラストまでを特別公開します!
アレセンサを服用し始めた頃、視界がおかしいことに気づいた。
以前から右眼は黒っぽいシャッターが半分くらい降りていた。
それは放射線治療が終わっても変化はなかった。
視界に関しては、斉藤先生の話から2カ月くらいすれば治ると思っていたのだが、どうもそのシャッターが茶色っぽく変色し、さらに下に降りてきていた。
右眼で青空を見ると、青ではなく緑色の空が広がっていた。
緑の空はSFの異世界みたいだ。
また、眼球を上下に動かすと、視界の隅に毛細血管が現れた。
自分の眼の血管が見えるというのも、不思議な感じだ。
僕の毛細血管は美しかった。
きれいだなー、ベッドに寝ながら僕は自分の毛細血管を鑑賞した。
しばらくすると、右眼の中央が歪み始めた。
視界の真ん中だけが魚眼レンズのように歪んでいた。
四角のビルが、台形に見えた。
おかしいな、なんだろう、これは。左眼もおかしくなっていた。
視界中央の下に茶色のハートが出現した。
眼球を動かすと、ハートも一緒についてくる。
これは本当に脳腫瘍なんだろうか?
もしかして、眼の問題じゃないんだろうか?
翌朝、嶋田さんに報告した。
「はい、すぐに先生に報告しますね」
嶋田さんはそう言うと、すぐにステーションに向かった。
しばらくすると若葉先生がやってきた。
「どうしました?」
僕は自分の視界について詳しく説明をした。
「先生、もしかして脳腫瘍の影響じゃなくて、眼が原因って考えられないでしょうか?眼を調べてもらうことって、できます?」
「わかりました。手配します」
若葉先生はそう言うと、いったん出ていき、しばらくすると戻ってきて言った。
「今日の午後に眼科の予約が取れました。そこで詳しく調べましょう」
「ありがとうございます」
さすが、ここが総合病院の強いところだな。
昼過ぎ、眼科の外来へ向かった。
眼科は多くの人でごった返していた。
眼科は直接命には影響の少ない病気のせいだろうか、呼吸器内科に来ている人に比べ、表情に悲壮感が少ないように感じた。
小1時間ほど待っていると名前を呼ばれた。
検査の準備ができたらしい。
案内された部屋には眼の検査機器が所狭しと並んでいた。
「では、ここに座って、こちらを見てください。まずは右眼からです」
言われるままに検査機を見つめた。
「はい、正面を見てーはい、右ー......」
そんな感じで、次々と検査を受ける。
1時間以上かけて、ありとあらゆる検査を受けた。
「検査の結果は先生に回しておきますので、お名前を呼ばれるまで診察室の前の椅子でお待ちください」
僕は診察室前の長椅子に座った。
僕の横で何やら男性が看護師に話し込んでいるのが聞こえた。
どうやら眼の手術が決まったらしい。
「どうしてもダメでしょうか?」
「はい、すみません、決まりなので」
「でも、取りたくないんです。絶対に」
「すみません、そういう決まりになってまして......」
「どうしてもダメなんですか?本当に?」
「はい、すみません」
何を困っているんだろう?
僕は耳を傾けた。
「実は、これカツラなんです。私、これは取りたくないんです......」
男性はがっくりと肩を落とした。
おお、カツラか......でも、カツラ取ったって死なないし......。
なんだか微笑ましかった。
「刀根さーん」
僕の名前が呼ばれた。
僕は診察室に入った。
そこには痩せた若い医師が座っていた。
「刀根さんは、えーっと、肺がん......ですよね」
「ええ、そうです。ステージ4です」
医師の顔が一瞬、固まった。
「えーっと、で、刀根さんの眼の検査をいろいろとさせていただきまして......」
医師の歯切れが悪い。
「はあ、で?」
「実は眼に腫瘍が見つかりました」
「腫瘍ですか?」
「はい、肺がんが眼に転移したものだと思われます。これは、非常に珍しいケースです」
「そうなんですか」
僕のがんは本当に働き者だ。
「で、両眼です」
「ほう!」
「右眼の歪みも、左眼のシミも腫瘍が原因だと思われます。えーっとですね......」
医師は眼の図を描いて、詳しく説明を始めた。
「刀根さんの場合、外から光が入ってきて、ガラス体を通して画像を映す膜、網膜という場所があるのですが、そこに腫瘍ができていることがわかりました。なので、シミや歪みが見えるのだと思います」
「そうなんですか......」
「眼の腫瘍は非常に珍しいので、当院にも専門家はいません。明後日、眼の腫瘍、眼内腫瘍の専門家が当院に来ますので、もう一度、その専門家の診察を受けてください」「わかりました」
僕は眼科を後にした。
まさか、眼にまで転移してるとは......。
ま、いいか、眼じゃ死なないし。