2016年9月、医師から「肺がんステージ4」という突然の告知を受けた刀根 健さん。当時50歳の彼が「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)。31章までの「連日配信」が大好評だったことから、今回さらに公開するエピソードを延長。第一部のラストまでを特別公開します!
アレセンサと眼内腫瘍
翌日、薬剤師が来た。
「今日から抗がん剤、分子標的薬のアレセンサを服用していただきますので、注意事項をご説明に来ました」
「あ、はい」
薬剤師はアレセンサハンドブックと書いてあるカラー刷りのパンフレットを僕に渡した。
「へえー、こんなものがあるんですね」
「ええ、そうなんです。えっとここに、このお薬の注意事項が書いてありますので、ちょっと開いていただいていいですか」
「あ、はい」
「これから毎日、このお薬を2カプセル、朝食と夕食の食後に服用していただくことになります」
「がんが消えたら、止めてもいいのですか?」
「いえ、それは医師の指示に従ってください」
「わかりました」
ハンドブックには、この薬を飲むことで注意しなければならないことが書いてあった。
まずグレープフルーツを食べてはいけない。
グレープフルーツには、この薬に対してよくない影響があるとのこと。
それからあまり日光に当たらないこと。
その程度だった。
この程度なら日常生活には、ほとんど影響なさそうだった。
副作用もいくつかあるようだが、通常の抗がん剤に比べると軽微なものばかりだった。
夕食後、その日の担当看護師がベッドサイドにやって来た。
胸のバッジを見ると「がん専門看護師」と書いてあった。
がん専門看護師は普通の看護師よりもがんに対してワンランク上の知識を持っていることを証明する資格だった。
「これが今日から飲んでいただくお薬です」
そう言うと、通常の薄手のビニール手袋の上から、さらに厚手のビニール手袋をはめた。
手袋二重かよ。
厳重な手袋で渡されたのは、2つの白いカプセルの薬が入っているプラスチックの包装容器だった。
プラスチックの包装に入っているのに、二重に手袋をはめるのかよ。
超危険物扱いなんだな。
「これが分子標的薬ってやつなのですか?」
包装にアレセンサと書いてあった。
「そうです」
看護師は冷たく答えた。
「手袋をしているのは抗がん剤だからですか?」
「そうです。今、飲んでください」
その声は余計な会話を受け付けない高圧的な響きがあった。
僕は言われるまま、カプセルを包装から取り出し、水と一緒に身体に流し込んだ。
患者が飲んだ証拠にするためか、残った包装は看護師が回収し、そそくさと帰って行った。
うむむ......。
入院して初めて、ちょっといやな気分になった。
抗がん剤とはいえ、ただのカプセルだし、そもそもプラスチック容器に入っているのに、手袋をして扱うのはちょっと大げさじゃないのかな、しかも二重だぞ。
それが僕のアレセンサとの出会いだった。
この日から朝晩の食事後に、アレセンサを飲む毎日が始まった。
翌朝の朝食後、昨晩とは違う若い看護師がアレセンサを持ってきた。
その人は手袋をしていなかったので、ちょっと嬉しかった。
僕はアレセンサを服用するときにやろうと思っていたことがあった。
昨晩は看護師の迫力に負けてできなかったが、今朝からはしっかりやろう。
それはカウンセリングをしてくれたさおりちゃんのアドバイスを、自分なりにアレンジしたものだ。
看護師が渡してくれたアレセンサを目の前の机に置き、手を合わせて心の中でつぶやく。
「私はこの薬、アレセンサを飲むことで健康になります。アレセンサ、君は愛の弾丸。君は僕の身体に入るとがん細胞とハグをします。そして二つは一つになって光となって消えていきます。ありがとうアレセンサ、ありがとうがん細胞。君たちは愛です」
そしてカプセルを水と一緒に飲む。
身体の中に入ったアレセンサががん細胞と合体し、光り輝いて消えて行くイメージを脳裏に描く。
不思議なことに、これをやると身体が光り始める気がした。
僕はアレセンサを服用するとき、必ずこのおまじないをすることにした。
その若い看護師は不思議そうに、そして暖かい視線で僕が薬を飲み終わるのを待っていてくれた。
この日の夜から便秘になった。
僕は今まで便秘を経験したことがなかった。
アレセンサの副作用の一つの可能性として便秘があるとハンドブックには書いてあった。
便がコロコロのカチカチになってしまった。
こんなにも即効性のあるものなのか。
薬ってすごいな。
翌日から胸の中がチクチクと痛み出した。
今までの痛みとは違う種類の痛みだった。
これは、アレセンサが効いてきているのだろうか?
翌朝シャワーを浴びたとき、鏡に映った自分の身体を見て衝撃を受けた。
肋骨の影が鮮明に浮き上がり、お腹はぺっこりとくぼんでいて、腰骨が大きく突き出ていた。
身体の厚みは極端に薄くなり、小学生のようだった。
その姿は、まるでアフリカの飢餓の子どものようだった。
すごいな、これ......。
体重はパジャマを着て51キロになっていた。
実質は50キロくらいか。
ついに、減量なしでフライ級になっちゃったな。
これで減量したら、確実に死ぬな......僕は笑った。