退院できそうなのに...⁉ 眼の腫瘍の専門家による「不安な診断」/僕は、死なない。(54)

2016年9月、医師から「肺がんステージ4」という突然の告知を受けた刀根 健さん。当時50歳の彼が「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)。31章までの「連日配信」が大好評だったことから、今回さらに公開するエピソードを延長。第一部のラストまでを特別公開します!

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僕に不都合なことは起きない

翌日、廊下を歩いていると、福山先生に呼び止められた。

「刀根さん、もしかすると、結構早く退院できるかもしれませんよ」

「えっ、そうなんですか?」

「はい。通常抗がん剤を投与する場合は、副作用の状況を見るために、服用を始めてから2週間ほどは様子を見る必要があるのですが、刀根さんは大丈夫そうです」

「それは、やっぱり適合率が100%だったからですかね?」

「そうですね、それもあると思います」

「やった!」

僕は思わずガッツポーズをした。

「正式にはまたご連絡をいたしますが、おそらくそういう運びになると思われます。早ければ今週いっぱいか、遅くとも来週の頭には退院できそうですよ」

「ありがとうございます!」

退院......。

入院したときは、退院するなんてことを考えてもいなかった。

あのときはもう全てお任せで、楽しむことしか考えていなかった。

退院できるんだ......また、戻れるんだ!

僕はすぐに妻にメールを入れた。

「さっき先生から今週退院できるかもって言われた。今週末の金か土。仕事の予定はどう?こっち来れる?退院、それに合わせられるか聞いてみるから」

すぐに返事が返って来た。

「うん。金、土、日と仕事だ。7月10日の月曜日はどうかな?」

「聞いてみるね。あと、体調も結構いいんだよ」

「そうなんだ。スゴイね!ホントよかったねー。こんな短期間で効いてくるなんて、ALKさん素晴らしい!ありがとう!」

妻が喜んで飛び跳ねている姿が目に浮かんだ。

しばらくして、ベッドサイドに福山先生と若葉先生がやって来た。

「刀根さん、先ほどお話しました通り、やはり、退院の許可が出ました。昨日撮らせていただいたレントゲンとCTの結果も思いのほか良好で、これなら問題ないだろうということになりました。心配されていた腰椎の骨転移ですが、これもお薬でなんとか対処できるだろうと判断されました。今は放射線治療をしなくても大丈夫です。お薬を飲みながら、しばらく様子を見ることになりました。退院は今週金曜日の7日か、来週月曜日の10日、どちらでも構いません。いかがしましょうか?」

「それでは、妻の仕事が休みの10日、月曜日でお願いします」

「わかりました。よかったですね」

2人ともニコニコしてとても嬉しそうだ。

やはり、患者が元気で退院していくのを見るのは医者として嬉しいんだろう。

2人が帰った後、さっそく妻にメールを入れた。

退院予定の7月10日は、なんと僕と妻の24回目の結婚記念日だった。

「退院予定の7月10日は24回目の結婚記念日だね。これもシンクロだよ」

「おやー、びっくり、気づかなかった」

「25年目から新しい生活が始まるんだよー」

「ちょっと、ちょっとなんかすごいことが起きてるよ!」

「全て魂の計画。全てうまくいく。不安を感じないで信頼してごらんって、こうやって教えてくれたんだね。シンクロというか、メッセージだね」

退院するんだ......そう思ったとき、入院の前日に会った河野さんの言葉を思い出した。

「退院したらぜひ南伊勢に来てください。自然のエネルギーを浴びて弱った身体を療養されるとよいと思います。僕が小さなロッジを借りていますので、空いていれば1週間でも2週間でも好きなだけ居ていただいていいですよ。料金も格安にしときます」

よし、南伊勢に行こう、いや、行かなければ!

僕は早速河野さんに連絡を入れた。

「こんにちは。来週の月曜日、7月10日に退院することになりました。今から思うと入院前日に河野さんと出会ってお話ししたことはとても大きかったです。これも僕の魂の計画だったんだな、と実感しています。ありがとうございます。退院したら南伊勢へ行きたいと思っているのですが、日程的にいつからいつまでの間であればお邪魔できるのか、教えていただけましたら助かります。よろしくお願いいたします」

夕方に返事が来た。

「刀根さん、こんにちは。たくさんの方が刀根さんを応援していますね。南伊勢のロッジですが、今月7月12日〜20日、25日〜31日の間でしたらいつでも、何泊でも大丈夫ですよ」

「わかりました。検討してまた連絡を入れますね」

僕の心はもう既に南伊勢の大自然に囲まれていた。

翌日、外部から来ている眼の腫瘍の専門家に診察してもらうため、再び眼科へ向かった。

薄暗い診察室には、百戦錬磨といった感じの男性医師が座っていた。

「刀根さんですね」

「はい、そうです」

「じゃ、ここに座って、顎をここに乗せてください」

医師はそう言うと、横に置いてあったアクション映画に出てくる特殊部隊の暗視カメラみたいなスコープを装着した。

ちょっとカッコいい。

「はい、右眼から行きます」

僕の右眼をスコープで覗き込む。

正面からまぶしい光が眼の中に刺し込んできた。

「はい、上を見て」

眼球を上に動かす。

「はい、右上......はい、右......はい、右下......」

眼球が1周した。

「はい、次は左眼行きます」

同じように左眼も1周。

終わると医師はスコープを外して画面に映った眼の内部を凝視した。

「うん、腫瘍だね。両方あるけど左眼より右眼のほうがひどいね。腫瘍の下に水がたまってる。だから視野が歪んでるんじゃないの」

「そうなんですか」

「うん、結構大きいね、特に右眼」

「大きいですか......」

「そうだね、放射線やろう。放射線」

「放射線当てるんですか?」

「うん、このくらいだったら普通やるよ、放射線。そのくらいの大きさ」

「どのくらいやるんですか?」

「2週間だね。僕のとこだったら。2週間、毎日」

「2週間もやるんですか?」

「うんそう。まあ眼に放射線当てると確実に白内障になるけど、失明するよりいいでしょ」「確かにそうですが......」

「ま、最終的にはおたくの病院のえっと、あなたは肺でしたね」

「はい、肺がんです」

「じゃ、呼吸器の先生方が決めることでしょうが、一応そういうことで報告しておきますから。あとでおたくの担当の先生からどうするか聞いてください」

「担当って、肺のですか?」

「いえ、眼科の先生です。後で呼ばれますから、外で待っててください」

僕は外に出ると、指定された診察室の前の長椅子に座った。

うむむ......この流れは何だ?

せっかく7月10日に退院が決まったのに。

2週間も延びるのか?

7月10日は結婚記念日なんだぞ。

まるでパズルのピースがぴたっとはまるように、全てがうまくいっていたのに......。

僕は不安になった。

僕の勘違いだったのか?

流れが逆流し始めたのか?

いや、待て、違うだろ。

深いところから声が聞こえた。

引き寄せるのさ。

自分が望む未来を引き寄せるんだよ。

アレセンサだって引き寄せただろ。

退院ぐらい引き寄せなくてどうするんだよ。

弱気になるな、イメージだよ、イメージ。

僕は心の中で念じた。

「僕に不都合なことは、起こらない」

「僕に不都合なことは、起こらない」

「僕に不都合なことは、起こらない」

「僕は7月10日に退院して、南伊勢に行くんだ!」

しばらく待つと名前が呼ばれたので、診察室に入った。

そこには先日話をした若い医師が座っていた。

「腫瘍外来の先生から報告を受けまして......刀根さんの呼吸器の先生とも話をさせていただきました」

「はい」

「で、結果としましては......」

「結果は?」

「薬の効果を期待して様子を見ることになりました」

やった!

「定期的に診察をして、少しでも悪くなるようだったら、放射線治療を行なう方向で決まりました」

「ありがとうございます」

7月10日、退院が正式に決定した。

【次回のエピソード】二度と帰って来ることはないと思ってた...「生きて、戻って来た」我が家

最初から読む:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)

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shoei001.jpg50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこと」として当時を振り返る第2部も必読です。

 

刀根 健(とね・たけし)

1966年、千葉県出身。OFFICE LEELA(オフィスリーラ)代表。東京電機大学理工学部卒業後、大手商社を経て、教育系企業に。その後、人気講師として活躍。ボクシングジムのトレーナーとしてもプロボクサーの指導・育成を行ない、3名の日本ランカーを育てる。2016年9月1日に肺がん(ステージ4)が発覚。翌年6月に新たに脳転移が見つかり、さらに両眼、左右の肺、肺から首のリンパ、肝臓、左右の腎臓、脾臓、全身の骨に転移が見つかるが、1カ月の入院を経て奇跡的に回復。現在は、講演や執筆など活動を行なっている。

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『僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』

(刀根 健/SBクリエイティブ)

2016年9月、心理学の人気講師をしていた著者は、突然、肺がん告知を受ける。それも一番深刻なステージ4。それでも「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる代替医療、民間療法を試みるが…。当時50歳だった著者の葛藤がストレートに伝わってくる、ドキドキと感動の詰まった実話。

この記事は『僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』(刀根 健/SBクリエイティブ)からの抜粋です。

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