2016年9月、医師から「肺がんステージ4」という突然の告知を受けた刀根 健さん。当時50歳の彼が「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)。21章(全38章)までの「連日配信」が大好評だったことから、今回はなんと31章までの「続きのエピソード」を14日間連続で特別公開します!
入院を決めた6月8日の夜、フェイスブックに書き込みを入れた。
実は僕は肺がんステージ4のことは、周囲の人にほとんど知らせていなかった。
親しい人にしか話していなかった。
僕が肺がん、しかもステージ4と聞き、「ああーもうすぐ死ぬな、この人」みたいな目で見られたくなかったし、特別扱いされたくもなかった。
がんを治してから「いや実は肺がんステージ4だったのですが、治しましたよー」とさり気なく発表したかった。
しかしそんなことを言っていられる状況ではなくなってしまった。
今、僕は限りなく絶望的な状態に置かれていた。
昨年、寺山先生のワークショップで知り合ったがん仲間が1月に他界した。
10月には一緒に山登りをするほど元気だったのに、11月に脳転移が見つかり、12月に入院。
放射線治療を行なったものの、1月下旬から連絡が取れなくなった。
彼女とのラインのやり取りが忘れられない。
「このライングループは私にとって光でした」
「私はもう、いいかなって思っちゃってます」
「みんなはきっと治るって信じてます」
......それきりラインが途絶えた。
その約2週間後、知人を介して彼女が新たな世界に旅立ったことを知った。
なんで......なんで諦めたんだよ!
諦めちゃ、終わりじゃんか!
悔しくて、悲しくて、僕は彼女の笑顔を思い描いて、泣いた。
しかし、同じ病気を患っている僕もその可能性があると、すぐに気づいた。
脳に転移したらやばい、脳転移したら生きて退院できない。
しかしそれが僕の現実となってしまった。
僕の病気を知らない人にとって、次の連絡が死亡通知じゃ申し訳ない。
せめて現状だけでも伝えよう。
「皆様にご報告があります。昨年9月1日に肺がんが見つかり、しかもそれがいきなりステージ4でした。当時の最新の薬は効かず、従来の抗がん剤しか方法がないと言われたのでそれを断り、食事を中心とした代替医療をやってきました。自分的にはまあまあ体調はよいかと感じてたのですが、最近ちょっと息苦しかったりしたこともあり、先月久々にCTを撮ってみたら脳に腫瘍が見つかりました。肺がんも進行していたようですが、ドクターからは肺よりも待ったなしの状態で、すぐに放射線治療をするべきとのことでした。おそらく来週中には入院治療に入ると思います。病院は東大病院です。フェイスブックでは治ってから完治の報告を皆様にしようと思っていたのですが、ちょっと先になりそうなので、とりあえず中間報告という形にしました。いきなりのことで皆様にはご心配をかけると思いますが、僕としてはここからが本領発揮のいい機会になるのではないかと思っています。ここからの逆転V字復活をご期待ください。ただし、僕はがんとは戦いません。がんも自分の身体の一部ですからね。役目を終えて静かに消えていってもらえばいいと思っています」
すると、あっという間にコメントが入り始めた。
疎遠になっていた人たちからも、どんどんコメントが入ってくる。
「刀根先生、大変ショックです。先生のおかげで心理学は私のスキルの一つになり、現在キャリアコンサルタントをしていますが、大変役に立っています。必ず回復してください。退院したら会いに行きます!」
「とにかく完治を祈ることしかできませんが、現状と向き合う刀根さんの心意気がよき方向に向かうことを祈念いたします。朗報お待ちしております」
「無理せず、本当にキツイときはいつでも言ってください。古い仲ですから(笑)、何か力になれますよ!」
そして、寺山先生からも入っていた。
「報告をありがとうございました。とてもよい機会です。本領を発揮されますことを祈っています。脳に腫瘍とのこと、膿で血液が汚れ、ストレスを与え続けたのでしょうね。いよいよ本領を発揮して、真剣に癒しのことを感じてくださいね。がんは治る病気です。今の医療では、とても難しい病気だといわれています。治る方法は、とても簡単です。頭の中を空・無にできるかにかかっています。全てを腑に落とすことです。成功を祈ります。寺山心一翁」
コメントの数は100を超えていた。
こんなにもたくさんの人が心配してくれているということを、僕は思いもしなかった。
全くの予想外だった。
コメントの一つひとつを読み、相手の顔を思い浮かべる。
思い起こすみんなの顔はなぜか笑顔だった。
ありがとう、ありがとう、みんな、ありがとう。
読みながら手を合わせた。
僕は全てを一人で背負い、一人で戦わなければならないと思っていたのかもしれない。
僕は今までいったい何に対して意地を張っていたのだろうか。
もっと早く『助けて』と言えばよかったんだ。
もっと早く『苦しい』って言えばよかったんだ。
プライド?
そんなプライドなんてクソだ。
カッコつけて何になるっていうんだ。
プライドなんて捨てよう。
もっと素直になろう。
ふと見ると、メッセンジャーにメッセージが入っていた。
「刀根君に会いたいです。近日中に会っていただけますか?」
それは20年以上会っていない友人、フジコさんからだった。
僕は翌日、入院に備えて中野の健保協会に『限度額適用認定証』をもらいに行く予定だった。
すぐに返信をした。
「明日、午後に中野へ行く用事がありますが、その後なら時間が取れます」
「会いましょう!私は吉祥寺です」
フジコさんは中野のすぐ近く、吉祥寺に住んでいたようだった。
「時間がわかったら連絡しますね」
「そうしてください。必ずだよ。がんという病気はものすごいギフトだと私は受け取っています。刀根君のこと、慰めたいとかそんなんではないの。でも、なぜそれを選択したのか、そこに寄り添いたい、奇跡に立ち会いたいです。病気は、医者にもセラピストにも治せないと思います。なぜなら、そこに意味があるから。そこまでして、魂からのメッセージを受け取ろうとしてる、刀根君の力になりたいです」