「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました!末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」をお届けします。
再会
それから数日後、あの寺山心一翁先生の講演を聴きに行くために、僕は中野サンプラザに出かけた。
寺山先生との出会いは、僕にとって大きかった。
僕のがんが見つかり、ステージ4を宣告された一昨年(2016年)の9月1日、その翌日に僕は有名ながんサバイバーである寺山先生にメールを打った。
「ぜひ、一度お会いしたいです」
その返信メールの最初の言葉に、僕は驚いた。
「おめでとうございます。よい気づきの機会を得られましたね」
おめでとう?
いや、おめでとうなんて気分じゃないんだけれど...。
「がんは自分で作ったものです。ですから、自分で治すことが出来ます」
関連記事:「がん、4期ですか。おめでとうございます」ある人から届いた驚きのメッセージ/僕は、死なない。(8)
僕はそのあと、寺山先生主催のスマイルワークショップに参加した。
そこで寺山先生は言った。
「がんを愛するのです。愛することで、がんは消えていくでしょう」
その言葉通り、ワークショップで「愛」の周波数を体験することが出来た。
あのとき、涙があふれて止まらなかった。
これか、これが「愛」なんだ...。
関連記事:「は?歌を歌うだって⁉」がんからの生還者による「驚きのワークショップ」/僕は、死なない。(19)
残念ながら、僕は寺山先生のように「愛」の周波数だけでがんを消すことは出来なかったけれど、その強烈な体験は僕に多くのことを教えてくれた。
その後、寺山先生は僕のことを気遣ってくれて、時々メールを送ってくれた。
その内容とタイミングが、まるで僕の気持ちを見守っているかのように、いつも絶妙だった。
今なら、寺山先生の言っていた意味が分かる。
「がんになって、おめでとうございます」
確かに、あれから苦しいことや辛いこと、絶望的なことも経験した。
でも、僕なりの道を通り抜け、今感じること、それは「がんになって良かった」だった。
がんは僕という人間を根本から変えた。
僕が気に入ってよく読んでいる、OHSOの書籍の一節にもこうあった。
問題に実存的に取り組むこと。
ただ考えるだけでなく、それを生き、それを通り抜け、それによって自分自身を変えることは難しい。
愛を知るため必要なのは、愛することだ。
これは危険だ。
なぜなら、あなたはもはや同じでなくなるからだ。
その体験は、あなたを変える。
(中略)
ある断絶が起こったのだ。
そこには隙間(ギャップ)がある。
古い人間は死に、新しい人間が現れた。
それが再誕生と言われるものだ。
それが生まれ変わることだ。
~OSHO著『内なる宇宙の発見』より~
そう、僕はがんという体験を通り抜けたことで、別の人間になった。
今は、がんになるまえの自分が、よく思い出せない。
がんになる前の自分、というのはそれまでの「思考パターン」であったり、「感情の反応パターン」であったり、そういう無意識的に僕という自分を縛り、操っていたプログラムのこと。
心理学用語で言うと、いわゆる"自我・エゴ"というやつだ。
「肺がんステージ4」という体験は、そういうプログラムを全て書き変えてしまったようだった。
寺山先生のワークショップに参加して以来、1年と7ヶ月、僕は寺山先生に会っていなかった。
寺山先生が講演をするということで、僕はさっそく講演会に申し込んだ。
当日の僕の楽しみは、寺山先生ともう一人の講師、清水友邦さんの話を聞くことだ。
寺山先生を通じ、フェイスブックで清水さんともつながり、清水さんの投稿を読むことが多くなった。
清水さんの投稿を読むたびに、僕は「この人は違う...向こう側の世界を知っている...」と感じるのだった。
向こう側の世界とは、目に見えない世界。
清水さんは、目に見えるこの三次元のさらに向こうの「あちら側」を知っているとしか、思えなかった。
"般若心経"は古代サンスクリット語では「プラデュマー・パーラミター」と言う。
その「プラデュマー」という意味は「あちら側、彼方」という意味で、「パーラミター」というのは「素晴らしい知恵」という意味だそうだ。
だから"般若心経"とは、単純に訳すと「あちら側の素晴らしい知恵」という意味なんだそうだ。
「あちら側・彼方」とは、僕たちの目に見えるもの以外、4次元から先の世界のことを指すのだろう。
現代の最新物理学である"量子力学"では、この世界は「11次元」だということが確認されているらしい。
11次元!
僕たちは3次元の世界に住んでいるが、さらにもっと8つの次元があるらしい。
暗黒物質とかダークマターとか呼ばれるものは、僕たちが住んでいる3次元では認識できない物質やエネルギーだけれど、確実に存在しているという。
"あちら側・彼方"というのはおそらく、3次元よりもっと上の次元を指すのだと、僕は思う。
仏教の開祖"仏陀"は、瞑想することだけで、3次元を超えた。
そのときの知恵をまとめたものが"プラデュマー・パーラミター/般若心経"なのだそうだ。
さすが天才ゴーダマ・シッタルタ。
全ては"空"老子も"道徳経"で同じような事を書き残している。
どうやら、それが真理らしい。
僕は清水さんの投稿に"仏陀"と同じ匂いを感じ、とても惹かれていた。
講演が始まる前、寺山先生にご挨拶をした。
「おお!タケちゃん!」
寺山先生は1年7ヶ月前とちっとも変わらない満面の笑顔と、太陽のようなエネルギーで僕を抱きしめてくれた。
寺山先生と出会ってからの様々な出来事が、頭の中を走馬灯のように駆け巡った。
僕は、生きてまた、寺山先生に会うことが出来たんだ!
僕は思わず、泣きそうになった。
もう一回ハグしたら、おそらく号泣してしまっただろう。
寺山先生は、目を輝かせて言った。
「おめでとうございます。本当に良かったです!」
寺山先生は80歳を過ぎているとは思えない握力で、僕の手を握りしめてくれた。
「はい、一時期死にかけましたが、おかげさまでがんはほとんど消えました」
「おお!それはすごいです。そうです、がんは治る病気なんです」
講演会が始まった。
寺山先生の話は、相変わらず素晴らしかった。
感じること、愛すること...それこそが、奇跡を連れてくる。
休憩を挟んで清水さんの話になった。
聴衆の前に現れた清水さんは、とても洒脱な感じで、肩に全く力が入っていない自然体の人だった。
清水さんの話を聞きながら、僕は不思議な感覚に陥っていた。
"自分"とは誰だろう?
考えている"自分"感じている"自分"その主体である"自分"とはいったいどこにいるんだろう?
仏陀は2500年前、"生・老・病・死"を4つの苦しみと定義した。
それを怖がっている、それを苦しみと感じている主体はいったい誰で、どこにいるんだろう?
恐がっている"自分"とは誰?
苦しんでいる"自分"とは誰?
話を聞きながら、僕は自分のサレンダー体験を思い出した。
がんの脳転移が見つかって、井上先生から緊急入院を勧められたときだった。
東大病院の待合室で、僕はサレンダー体験をした。
やってやって、全てをやってやり尽くして、全部ダメだった、通用しなかった...。
もう、おしまい
僕がやれることは、何ひとつない
降参します
お任せします
宇宙よ
神よ
大いなる存在よ
僕はもう何もしません
煮るなり焼くなり好きなようにしてください
全てを笑って受け入れます
全てを、お任せします...。
そう、あのとき、"僕"は、いなかった。
関連記事:「やれることは全部やったけど、ダメだった」がんへの完敗を認めた僕に「訪れたもの」/僕は、死なない。(35)
あのとき、"僕"という"自我・エゴ"は目の前の出来事によって、粉々に粉砕されて消滅していた。
あのとき、不安や苦しみは全く感じなかった。
全てを信頼し、安心して身を任せていた。
そして一番大切なことは、何も『考えて』いなかったってことだ。
つまり、思考ゼロ
マインド/ゼロ
ノー・マインド。
そう、考えている""自分とは、"自我・エゴ"の事じゃないのかな?
感じている"自分"とは、"自我・エゴ"の事じゃないのかな?
恐がっている"自分"とは、"自我・エゴ"事じゃないのかな?
苦しんでいる"自分"とは、"自我・エゴ"事じゃないのかな?
数日前の診察のことを思い出した。
7月に入ってから、僕の頭の中は「恐怖の思考」に支配されていた。
再発の恐怖...。
再発のことを考えれば考えるほど、恐怖にとりつかれてしまう。
恐がっていたのは、誰なのか?
そう、それは僕の"自我・エゴ"だった。
思考はネガティブに考え続ける。
あれもこれも、悪い予想を立てて、それに対処しようと計画を練る。
これは人間としての習性だ。
だけど、考えてばっかりいると、いや考えに「取り憑かれている」と、苦しくなってしまう。
その"苦しみ"の4つの元が"生・老・病・死"なんじゃないだろうか。
僕のあのときの苦しみの元は、まさに"病"と"死"だった。
清水さんは見た目も細いけれど、本当に爽やかで軽い感じの人だった。
軽い、というのは悪い意味の"軽い"じゃなくて、"軽やか"と表現した方がいいかもしれない。
囚われるものがない、風のように軽やかに通り抜けていく、そんな感じの人だった。
僕もあんなふうになりたい...。
漠然とだけれど、そう思った。
【次のエピソード】階段を上って息苦しかった肺が...。友人がもたらした「不思議な体験」/続・僕は、死なない。(26)
【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)
50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。