「がん再発の恐怖」に僕は取り憑かれていた...。「囚われない人」への憧れ/続・僕は、死なない。(25)

「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました!末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」をお届けします。

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再会

それから数日後、あの寺山心一翁先生の講演を聴きに行くために、僕は中野サンプラザに出かけた。

寺山先生との出会いは、僕にとって大きかった。

僕のがんが見つかり、ステージ4を宣告された一昨年(2016年)の9月1日、その翌日に僕は有名ながんサバイバーである寺山先生にメールを打った。

「ぜひ、一度お会いしたいです」

その返信メールの最初の言葉に、僕は驚いた。

「おめでとうございます。よい気づきの機会を得られましたね」

おめでとう?

いや、おめでとうなんて気分じゃないんだけれど...。

「がんは自分で作ったものです。ですから、自分で治すことが出来ます」

関連記事:「がん、4期ですか。おめでとうございます」ある人から届いた驚きのメッセージ/僕は、死なない。(8)

僕はそのあと、寺山先生主催のスマイルワークショップに参加した。

そこで寺山先生は言った。

「がんを愛するのです。愛することで、がんは消えていくでしょう」

その言葉通り、ワークショップで「愛」の周波数を体験することが出来た。

あのとき、涙があふれて止まらなかった。

これか、これが「愛」なんだ...。

関連記事:「は?歌を歌うだって⁉」がんからの生還者による「驚きのワークショップ」/僕は、死なない。(19)

残念ながら、僕は寺山先生のように「愛」の周波数だけでがんを消すことは出来なかったけれど、その強烈な体験は僕に多くのことを教えてくれた。

その後、寺山先生は僕のことを気遣ってくれて、時々メールを送ってくれた。

その内容とタイミングが、まるで僕の気持ちを見守っているかのように、いつも絶妙だった。

今なら、寺山先生の言っていた意味が分かる。

「がんになって、おめでとうございます」

確かに、あれから苦しいことや辛いこと、絶望的なことも経験した。

でも、僕なりの道を通り抜け、今感じること、それは「がんになって良かった」だった。

がんは僕という人間を根本から変えた。

僕が気に入ってよく読んでいる、OHSOの書籍の一節にもこうあった。

問題に実存的に取り組むこと。

ただ考えるだけでなく、それを生き、それを通り抜け、それによって自分自身を変えることは難しい。

愛を知るため必要なのは、愛することだ。

これは危険だ。

なぜなら、あなたはもはや同じでなくなるからだ。

その体験は、あなたを変える。

(中略)

ある断絶が起こったのだ。

そこには隙間(ギャップ)がある。

古い人間は死に、新しい人間が現れた。

それが再誕生と言われるものだ。

それが生まれ変わることだ。

~OSHO著『内なる宇宙の発見』より~

そう、僕はがんという体験を通り抜けたことで、別の人間になった。

今は、がんになるまえの自分が、よく思い出せない。

がんになる前の自分、というのはそれまでの「思考パターン」であったり、「感情の反応パターン」であったり、そういう無意識的に僕という自分を縛り、操っていたプログラムのこと。

心理学用語で言うと、いわゆる"自我・エゴ"というやつだ。

「肺がんステージ4」という体験は、そういうプログラムを全て書き変えてしまったようだった。

寺山先生のワークショップに参加して以来、1年と7ヶ月、僕は寺山先生に会っていなかった。

寺山先生が講演をするということで、僕はさっそく講演会に申し込んだ。

当日の僕の楽しみは、寺山先生ともう一人の講師、清水友邦さんの話を聞くことだ。

寺山先生を通じ、フェイスブックで清水さんともつながり、清水さんの投稿を読むことが多くなった。

清水さんの投稿を読むたびに、僕は「この人は違う...向こう側の世界を知っている...」と感じるのだった。

向こう側の世界とは、目に見えない世界。

清水さんは、目に見えるこの三次元のさらに向こうの「あちら側」を知っているとしか、思えなかった。

"般若心経"は古代サンスクリット語では「プラデュマー・パーラミター」と言う。

その「プラデュマー」という意味は「あちら側、彼方」という意味で、「パーラミター」というのは「素晴らしい知恵」という意味だそうだ。

だから"般若心経"とは、単純に訳すと「あちら側の素晴らしい知恵」という意味なんだそうだ。

「あちら側・彼方」とは、僕たちの目に見えるもの以外、4次元から先の世界のことを指すのだろう。

現代の最新物理学である"量子力学"では、この世界は「11次元」だということが確認されているらしい。

11次元!

僕たちは3次元の世界に住んでいるが、さらにもっと8つの次元があるらしい。

暗黒物質とかダークマターとか呼ばれるものは、僕たちが住んでいる3次元では認識できない物質やエネルギーだけれど、確実に存在しているという。

"あちら側・彼方"というのはおそらく、3次元よりもっと上の次元を指すのだと、僕は思う。

仏教の開祖"仏陀"は、瞑想することだけで、3次元を超えた。

そのときの知恵をまとめたものが"プラデュマー・パーラミター/般若心経"なのだそうだ。

さすが天才ゴーダマ・シッタルタ。

全ては"空"老子も"道徳経"で同じような事を書き残している。

どうやら、それが真理らしい。

僕は清水さんの投稿に"仏陀"と同じ匂いを感じ、とても惹かれていた。

講演が始まる前、寺山先生にご挨拶をした。

「おお!タケちゃん!」

寺山先生は1年7ヶ月前とちっとも変わらない満面の笑顔と、太陽のようなエネルギーで僕を抱きしめてくれた。

寺山先生と出会ってからの様々な出来事が、頭の中を走馬灯のように駆け巡った。

僕は、生きてまた、寺山先生に会うことが出来たんだ!

僕は思わず、泣きそうになった。

もう一回ハグしたら、おそらく号泣してしまっただろう。

寺山先生は、目を輝かせて言った。

「おめでとうございます。本当に良かったです!」

寺山先生は80歳を過ぎているとは思えない握力で、僕の手を握りしめてくれた。

「はい、一時期死にかけましたが、おかげさまでがんはほとんど消えました」

「おお!それはすごいです。そうです、がんは治る病気なんです」

講演会が始まった。

寺山先生の話は、相変わらず素晴らしかった。

感じること、愛すること...それこそが、奇跡を連れてくる。

休憩を挟んで清水さんの話になった。

聴衆の前に現れた清水さんは、とても洒脱な感じで、肩に全く力が入っていない自然体の人だった。

清水さんの話を聞きながら、僕は不思議な感覚に陥っていた。

"自分"とは誰だろう?

考えている"自分"感じている"自分"その主体である"自分"とはいったいどこにいるんだろう?

仏陀は2500年前、"生・老・病・死"を4つの苦しみと定義した。

それを怖がっている、それを苦しみと感じている主体はいったい誰で、どこにいるんだろう?

恐がっている"自分"とは誰?

苦しんでいる"自分"とは誰?

話を聞きながら、僕は自分のサレンダー体験を思い出した。

がんの脳転移が見つかって、井上先生から緊急入院を勧められたときだった。

東大病院の待合室で、僕はサレンダー体験をした。

やってやって、全てをやってやり尽くして、全部ダメだった、通用しなかった...。

もう、おしまい

僕がやれることは、何ひとつない

降参します

お任せします

宇宙よ

神よ

大いなる存在よ

僕はもう何もしません

煮るなり焼くなり好きなようにしてください

全てを笑って受け入れます

全てを、お任せします...。

そう、あのとき、"僕"は、いなかった。

関連記事:「やれることは全部やったけど、ダメだった」がんへの完敗を認めた僕に「訪れたもの」/僕は、死なない。(35)

あのとき、"僕"という"自我・エゴ"は目の前の出来事によって、粉々に粉砕されて消滅していた。

あのとき、不安や苦しみは全く感じなかった。

全てを信頼し、安心して身を任せていた。

そして一番大切なことは、何も『考えて』いなかったってことだ。

つまり、思考ゼロ

マインド/ゼロ

ノー・マインド。

そう、考えている""自分とは、"自我・エゴ"の事じゃないのかな?

感じている"自分"とは、"自我・エゴ"の事じゃないのかな?

恐がっている"自分"とは、"自我・エゴ"事じゃないのかな?

苦しんでいる"自分"とは、"自我・エゴ"事じゃないのかな?

数日前の診察のことを思い出した。

7月に入ってから、僕の頭の中は「恐怖の思考」に支配されていた。

再発の恐怖...。

再発のことを考えれば考えるほど、恐怖にとりつかれてしまう。

恐がっていたのは、誰なのか?

そう、それは僕の"自我・エゴ"だった。

思考はネガティブに考え続ける。

あれもこれも、悪い予想を立てて、それに対処しようと計画を練る。

これは人間としての習性だ。

だけど、考えてばっかりいると、いや考えに「取り憑かれている」と、苦しくなってしまう。

その"苦しみ"の4つの元が"生・老・病・死"なんじゃないだろうか。

僕のあのときの苦しみの元は、まさに"病"と"死"だった。

清水さんは見た目も細いけれど、本当に爽やかで軽い感じの人だった。

軽い、というのは悪い意味の"軽い"じゃなくて、"軽やか"と表現した方がいいかもしれない。

囚われるものがない、風のように軽やかに通り抜けていく、そんな感じの人だった。

僕もあんなふうになりたい...。

漠然とだけれど、そう思った。

【次のエピソード】階段を上って息苦しかった肺が...。友人がもたらした「不思議な体験」/続・僕は、死なない。(26)

【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)

【まとめ読み】『僕は、死なない。』記事リスト
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50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。

 

刀根 健(とね・たけし)

1966年、千葉県出身。OFFICE LEELA(オフィスリーラ)代表。東京電機大学理工学部卒業後、大手商社を経て、教育系企業に。その後、人気講師として活躍。ボクシングジムのトレーナーとしてもプロボクサーの指導・育成を行ない、3名の日本ランカーを育てる。2016年9月1日に肺がん(ステージ4)が発覚。翌年6月に新たに脳転移が見つかり、さらに両眼、左右の肺、肺から首のリンパ、肝臓、左右の腎臓、脾臓、全身の骨に転移が見つかるが、1カ月の入院を経て奇跡的に回復。現在は、講演や執筆など活動を行なっている。

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『僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』

(刀根 健/SBクリエイティブ)

2016年9月、心理学の人気講師をしていた著者は、突然、肺がん告知を受ける。それも一番深刻なステージ4。それでも「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる代替医療、民間療法を試みるが…。当時50歳だった著者の葛藤がストレートに伝わってくる、ドキドキと感動の詰まった実話。

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