階段を上って息苦しかった肺が...。友人がもたらした「不思議な体験」/続・僕は、死なない。(26)

「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました!末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」をお届けします。

ぼくしな26.jpg

不思議な治療

8月の中旬、友人の舟橋さんが訪ねてきた。

舟橋さんは、昨年僕が南伊勢で静養していたときに訪ねてきてくれた人で、そのとき僕は伊勢神宮の内宮と外宮を参拝して帰ろうと思っていたのだけれど、舟橋さんの推薦で瀧原宮に行くことにした。

そのあとの瀧原宮での不思議な体験は忘れられないものだった。

舟橋さんはその後、南伊勢在住の河野修一さんのヒーリングである「ビーイング・タッチ」を学び、この不思議な世界に魅せられ、その後、彼の名前"学(まなぶ)"の通り、さらにいろいろな先生の元で学び続けていた。

今回は舟橋さんが最近身につけた新しい術式について話をしてくれるとのことで、僕は待ち合わせの上野駅に向かった。

「こんにちは」

「お久しぶりです、刀根先生」

二人でさっそく喫茶店に入った。

「すごいですね。学び続けているんですね。まさか舟橋さんがこういう世界に来るとは、思ってなかったですよ」

「ええ、僕もそう思います。僕はこういう目に見えない話や世界のことには、なるべく関わらないように距離を取ってきた人間ですからね」

そう、舟橋さんは介護系の会社に務めていて、いくつもの施設や事務所をまとめたり、企画を立案するような偉い立場の人だった。

厚労省から参考モデルとしてヒアリングを受けたこともあったそうだ。

僕と舟橋さんの出会いは心理学だった。

舟橋さんは、僕が教えていた心理学TA(Transactional Analysis交流分析)を学びに、はるばる三重県からやって来た。

そこからつながり、もう10年以上、お付き合いが続いていた。

しかし、その舟橋さんがヒーリングの世界に興味を持ち、それを学ぶようになるとは、僕は予想だにしていなかった。

「今日は刀根先生にぜひ、話を聞いてもらいたいんです」

舟橋さんはそう話すと、新しく学んだ術式について詳しく話し始めた。

僕もがんの治療のとき、山中さんのハンドヒーリングを受けに行ったり、河野さんの「ビーイング・タッチ」を受けたり学んだりしていたので、そういった関連については、全く抵抗がなかった。

舟橋さんはスマホを取り出すと、何枚かの写真を見せてくれた。

そこには左右の太さが違う女性の足が写っていた。

「この女性は、足が痛いということで、僕のところにいらっしゃいました。ほら、右足の方が太いでしょ」

そうだった。

明らかに右足の方が太かった。

「右足に炎症が起こっていて、腫れて太くなっているのです。それで、これがその10分後の写真です」

次の写真は同じ服を着ているのだけれど、明らかに左右の足の太さが同じになっていた。

心持ち赤くなっていた右足が左足と同じ色になっていた。

「治ってますね...これ、10分後なんですか?」

「ええ、そうです。たった10分でこうなりました。痛みも消えたって言ってました」

すごいな...

こんなに即効性があるんだ...

舟橋さんの治療は僕が聞いても"なるほど、効果がありそうだな"と思わせるものだった。

「どうやって、やるんですか?」

「ここじゃ、ちょっと...」

舟橋さんは周囲を見渡すと、困ったように言った。

「ま、基本的には、手を当てるんですけどね」

どうやら、喫茶店では難しいようだった。

それからあれこれ話した後、僕は聞いた。

「舟橋さん、上野の西郷さんって見たことあります?」

「いえ、東京はいつも仕事で行き来しているのですが、観光というかそういうの、したことがないんですよ。実はここも東京のどのあたりなのか、さっぱり分かってないんですよ」

「それじゃ、せっかくですから西郷さんにご挨拶していきましょうよ。このすぐ近くですよ」

「そうなんですね、ええ、行きます」

僕たちは喫茶店を後にして、上野公園に向かった。

公園の階段を上っているときだった。

そのとき僕はまだ肺が完全な状態ではなくて、階段や急な坂道を上ると息苦しかった。

上野公園の西郷さんまでの数十段で、僕は息を切らして立ち止まった。

不意に後ろから舟橋さんの声がした。

「ああ、刀根先生。今、刀根先生の肺は左が20%、右が50%しか機能していませんね。息苦しいでしょう」

「どうして分かるんですか?」

「いや、そういうふうに出てるからです」

見ると舟橋さんが僕の仙骨のあたりに手をかざしていた。

「それで分かるんですか?」

「ええ、分かります」

舟橋さんの言葉に迷いはなかった。

「ちょっと上まで行きましょう。そこで治しましょう」

「ええ、まあ」

僕はまだ半信半疑だった。

階段を上りきると、舟橋さんは僕の後ろに回って、仙骨のあたりに軽く手をかざし、目をつぶった。

心の中で何かを唱えているようだった。

10秒ほどだったろうか、舟橋さんが目を開けていった。

「はい、終わりました。両方とも100に戻しておきましたよ」

「えっ、もう終わったんですか?」

「ええ。どうです?深呼吸してみてください」

僕は言われるまま、大きく息を吸い込んだ。

違う...さっきと全然違う。

気のせいか?

いや、気のせいじゃない、ホントに違う。

酸素がたっぷりと肺に流れ込んできた。

肺活量がさっきと全然違っていた。

きれいで新鮮な空気が肺から全身に行き渡る感覚を、驚きとともに僕は感じていた。

「すごいですね、これ」

「ええ、すごいんですよ、この効果」

僕はその効果を、自分の身体で実感した。

こんなことがあるんだ...

それは僕が今まで体験した中でも、屈指の即効性と実感だった。

「それじゃ、またお会いしましょうね」

西郷さんの前で記念撮影を終えると、舟橋さんは帰っていった。

これ、誰かの役に立たないかな...。

そのとき、僕はクローン病になった総合格闘技の征矢選手の顔が浮かんだ。

でも、どうやって言おうか、信じてもらえるだろうか?

【次のエピソード】ボクサーと格闘家。2人の友人に受けてもらった不思議な治療の結果は...⁉/続・僕は、死なない。(27)

【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)

【まとめ読み】『僕は、死なない。』記事リスト
shoei001.jpg

50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。

 

刀根 健(とね・たけし)

1966年、千葉県出身。OFFICE LEELA(オフィスリーラ)代表。東京電機大学理工学部卒業後、大手商社を経て、教育系企業に。その後、人気講師として活躍。ボクシングジムのトレーナーとしてもプロボクサーの指導・育成を行ない、3名の日本ランカーを育てる。2016年9月1日に肺がん(ステージ4)が発覚。翌年6月に新たに脳転移が見つかり、さらに両眼、左右の肺、肺から首のリンパ、肝臓、左右の腎臓、脾臓、全身の骨に転移が見つかるが、1カ月の入院を経て奇跡的に回復。現在は、講演や執筆など活動を行なっている。

6143Ex20k-L.jpg

『僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』

(刀根 健/SBクリエイティブ)

2016年9月、心理学の人気講師をしていた著者は、突然、肺がん告知を受ける。それも一番深刻なステージ4。それでも「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる代替医療、民間療法を試みるが…。当時50歳だった著者の葛藤がストレートに伝わってくる、ドキドキと感動の詰まった実話。

この記事に関連する「ライフプラン」のキーワード

PAGE TOP