「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました! 末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」をお届けします。
再発の恐怖
しばらく止まっていた咳が出てきた。
胸の中がチクチクと痛み出した。
お風呂場で呼吸が苦しくなってきた。
身体のダルさも戻ってきた。
痰が赤っぽい。
なぜか左の座骨も痛くなってきた。
息苦しくて、また横を向いて眠れなくなった。
言いたいことを言っていなかったせいか、喉が腫れて声が出なくなった。
そしてなにより、胸の中の異物感が復活した。
これは僕のがんが最大だったとき、感じていたものと同じだった。
肺は基本的に風船の塊みたいな臓器だから軽い。
でも、その中にがんみたいな塊が出来ると、そこは重く感じる。
身体を左右に動かしたり、振ったりすると、その重みの違いを感じてしまう。
ううう...
再発したかもしれない...。
7月の診察はちょうどCT撮影の月だった。
きっと写るに違いない。
僕は変な確信を抱いた。
しかし、このまま手をこまねいて井上先生の「再発しましたね」の言葉を待つわけにもいかない。
出来ることは全部する。
やれることは全てやろう。
サレンダーするのはその後だ。
僕は翌日から、以前がんが身体中に広がっていたときにやっていたことを再開した。
食事・入浴・陶板浴・サプリ...。
とにかく、CTを撮影する24日まで、出来ることを全てやろう。
大切なのはネガティブな感情の排出。
僕は前回の体験でそれを学んでいた。
今回のネガティブな感情...
それは本を書くことで僕が感じた多くのストレスだった。
それが僕の細胞のひとつひとつにしみこんでしまって、全ての機能を不全に導いているように感じた。
これを排出するんだ。
どうやろう?
僕はふと、ひらめいた。
そうだ、エネルギーワークをやってみよう。
僕は布団に横になり、目をつぶった。
宇宙の中心から光の川が僕に向かって流れてくる。
その光の川は、僕の頭のてっぺんに注ぎ込み、背骨をたどって尾てい骨に流れ、そのまま地球の中心に流れていく。
僕の身体が光の川の通り道になっていた。
ああ、これだけでも気持ちがいい。
次に、僕の身体のひとつひとつの細胞にしみこんでいたネガティブなエネルギーを絞り出した。
身体の中心を流れる光の川から一番遠いところ、つまり、手と足の指の先から上から押しつぶすように、細胞にしみこんでいるネガティブなものを絞り出した。
それはどす黒くてつやつやした重油みたいだった。
え~いっ
丁寧に、丁寧に、細胞のひとつひとつから、ネガティブなものを絞っていく。
そしてそれを身体の中を流れる光の川に流していく。
光の川はその黒いつやつやした油を勢いよく地球の中心に向かって流していく。
もっと、もっと、ぜんぶ、ぜんぶ、一滴残らず流すんだ。
こうやって、毎晩、毎晩、20分から30分ほどの時間をかけて、このどす黒いエネルギーを流し続けた。
1週間ほどもやったころだろうか、体調が少しずつ上向いてきた。
効いていたのか?
食事やサプリの効果も出てきているみたいだった。
特に、陶板浴の効果は絶大で、行く度に体調の回復を実感することが出来た。
24日に、間に合うかもしれない...。
こうやって、久しぶりに必死になって体調を整えた。
徐々に咳も少なくなり、身体のダルさも減り、喉の腫れも少なくなったが、声は枯れたままだった。
そして24日にCTの撮影、26日の井上先生の診察を迎えた。
今回僕は万一のことを考え、妻に同席してもらうことにした。
もし再発していたら、今後の治療の話なると思ったから。
妻が同席するのは、僕が1年前に退院してから、はじめてのことだった。
僕は、妻に言った。
「最悪、再発しているかもしれない。だから、念のために一緒に来て」
「うん、分かった」
妻は平静を装っていたが、心が揺れていることは僕から見ても分かった。
申し訳ない...
僕が欲をかいて本なんて書いたばっかりに...
いつも妻からは「無理しちゃダメよ」って言われていたのに。
診察室に入る前、心臓がドキドキと高鳴った。
僕が思うに、再発している可能性は約70%。
おそらく何らかのものが写っているだろう。
覚悟せよ、刀根健。
僕は死刑宣告を待つ罪人のように自分の名前が呼ばれるのを待った。
じわじわと手に汗が浮いてきた。
いつもなら病院が終わったらあれをしよう、これをしようと考えが浮かんでくるのだけれど、診察が終わった後のことは、なにひとつ想像すら出来なかった。
「刀根健さん、診察室にお入りください」
ついに呼ばれた。
僕は妻に目で合図すると、大きく息を吸って立ち上がり、診察室のドアを開けた。
そこにはいつもと同じように井上先生が座っていた。
「体調は、いかがですか?」
いつもと同じように、井上先生が聞く。
僕はそれに応えずに、聞いた。
「CTの結果はどうだったですか?」
井上先生は机の上のPCを、僕の肺が写ったCTの画面に切り替えて、しげしげと見つめた後、こう言った。
「はい、今まで通り、問題ありません。順調です」
何かとてつもない重りが背中から落ちたように、僕は解放された。
身体中から力が抜けた。
「そ...そうだったんですね。良かったです...」
「何かあったんですか?」
「実は、体調がすごぶる悪くて、その悪い感じががんが身体中にあったときと同じだったもので、てっきり再発したものだと思いまして...」
井上先生は驚いたように言った。
「そうだったんですね、いや、大丈夫ですよ、腫瘍マーカーも全然上がってません」
「もう、僕は覚悟を決めて...それで今日は妻まで一緒に来てもらったんです」
妻が横で井上先生に軽く会釈をした。
井上先生は笑いながら言った。
「CTや血液検査の結果から問題ありませんね。細菌に感染したとか、風邪を引いたとか、まあとにかく、この病気とは関係ない症状だと思います」
診察室から出て、廊下を歩いているとき、なんだかちょっと涙が出てきた。
良かった...
本当に、良かった。
それとともに、こんな言葉も浮かんできた。
ああ、やっぱり僕は弱いなぁ~。
こんなことで泣いてるなんて、弱虫タケちゃんだよ。
でも、同時に思った。
そういう弱い自分も抱きしめて、ヨシヨシしてあげよう。
怖かったな、不安だったな、もう大丈夫だよ。
7月に入ってから、今日この結果を聞くまで、僕は未来のことが全く考えられなかった。
これで明日のことが考えられる。
7月27日以降のことが考えられる。
僕に、生きる時間が戻ってきた。
生きる時間があると言うことは、なんて素晴らしいことなんだろう。
今、これは僕の魂が、『まだ学びなさい』と、用意してくれたイベントだと思ってる。
愚かな僕は"体験"しないと学べない。
だから今回のことも起こったんだと思う。
不器用だけれど、しょうがない。
それが僕なんだから。
しかし、いったい、何の学びなんだろう?
何を"学べ"っていうことなんだろう?
【次のエピソード】「がん再発の恐怖」に僕は取り憑かれていた...。「囚われない人」への憧れ/続・僕は、死なない。(25)
【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)
50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。