<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ウジさん
性別:男
年齢:58
プロフィール:娘(25歳)が中学校教員の道を歩み始めた58歳の男性です。新人教員はイレギュラー続出の日々に困惑の連続でした。
「もうどうしていいか分からない......」
中学時代はいじめにあっても決して弱音を吐かなかった娘(25歳)が電話口で泣きじゃくるのを聞いて、どういって慰めたらよいものか思いつかず......。
だけどコロナもあるためすぐに様子を見に行くこともできず、心配ばかりが募っていました。
この春、かねてからの希望をかなえ、3度目どころか4度目の正直で教員採用試験を突破して、憧れの英語教員の道を歩み始めた娘。
実家を離れての関東圏での一人暮らしも、不安よりも期待を膨らませながらの旅立ちでした。
しかし3月には全国の学校がコロナ禍で休校に入りました。
「まあ、4月には何とかなるんじゃないか?」とあまり深く考えずに3月末の引っ越しには付き添っていくことができました。
ところが4月には非常事態宣言が出され、行き来することさえ憚られる状況に。
「始業式と入学式だけは何とかやるみたいだけど......」と話していた4月頭、娘の言葉通り、その後すぐにまた休校となり、気合十分だった娘は気勢をそがれた格好です。
「とりあえずゴールデンウィークが終わるまでは学校に行ったり在宅勤務だったりになるみたい」
意気消沈した声でそう電話してきました。
「始まるには始まったけど分散登校で、子どもたちに会うのは週に1日だけなんだ」
そう話してくれたのは5月の中頃です。
「ちゃんとした授業はできないし、研修もレポート提出ばっかりでよく分かんないし......」
教員は最初の年は初任者研修という機会があり、1年間みっちりと仕事の基本を教えてもらえます。
しかしこれも人を集めないために机上の学習ばかりのようでした。
オンラインの研修会もあるようですが、同じ悩みを持つであろう同期の仲間との情報交換などができないのはかなりのストレスになっているようでした。
しかし最もつらいのは日々の職場だったようです。
「どんな課題を出したらいいか分かんないし、どんな教材を用意したらいいかとか、クラスの運営をどうしたらいいかとか聞いてみるんだけど......」
同僚の先生方も始業早々から休校、週に一度しか子どもに会わない生活は未経験です。
「私たちも初めてだからねえ、どうしたらいいかと言われても......」
藁にもすがる気持ちで聞いてみても、多くの助言は受けられなかったようです。
そんな状態が続いていた5月末の電話で、ついに娘が泣き出しました。
県をまたいだ移動は制限された中でしたので、一度帰って来いとも言えず、こちらが出向くのも憚られます。
妻(56歳)と交互に電話口に出て、娘の愚痴を聞いてやるのが精一杯でした。
6月に入り、ようやく制限緩和の流れとなり、娘の中学校でも毎日の登校が始まりました。やれ間隔をとれ、消毒しろ、と何かと気を遣う日々ながらも、授業ができるようになっていきました。
「やっと教科書を開いたよ」
「子どもたちが真面目に授業を聞いてくれてうれしかった」
教師になってから約3カ月経って初めて、教師になることを夢見ていた頃と同じ弾んだ声を聞くことができました。
まだまだ平常運転とはいかないようですが、何とかやりがいのある日々を送れるようにもなってきて、同僚の先生とも手探りで日々の進め方など話し合っているようです。
ある意味、現在は新人教師も先輩教師も、もちろん生徒たちも「新しい日常」の中で、新しい過ごし方を模索している状況です。
それは決して楽なものではないのでしょうが、何とかみんなで乗り切っていってくれればと願って過ごす毎日です。
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