<この体験記を書いた人>
ペンネーム:梅の実
性別:女
年齢:48
プロフィール:パートナーと2人暮らし。離れて暮らす75歳の両親が元気なのをいいことにあまり実家へ帰っていない親不孝者です。
私が両親と離れて暮らすようになって早25年以上。
年に1度実家に帰る程度ですが、おしゃべり好きな母親とはしょっちゅう電話したりメールしたり。
父親は無口で小さい頃からちょっと怖い存在だったので、実家に帰った時くらいしか話す機会はないのですが......。
そんな父から珍しく電話がありました。
この日は親戚一同で、旅行にいっているはずです。
「珍しく旅の自慢かな?」と思い電話に出てみると...なんと旅先で母が転倒したとのこと!
激しい足の痛みで、車椅子を使っているというのです。
あの明るくて元気な母が「年齢も年齢なので、痛みが治らずこのまま歩けなくなったらどうしよう...」と、かなり落ち込んでいる様子。
しかも、何より驚いたのは、普段冷静な父がかなり動揺していることでした。
そして、電話でこんなことを切り出したのです。
「お母さんがこんな状況なので、これから車で迎えに来てくれる?」
「迎えにって、いまどこにいるの?」
「富山。どれくらいで来れる?」
と、富山!?
私が住んでいるのは神奈川。
そして両親が住んでいるのは福岡です。
ということはつまり、神奈川→両親が今いる富山→両親が住む福岡→神奈川へ戻る......を車で移動する(⁉)、ということです。
日本中を車で移動する機会が多い私は、走行距離が「本州の全長以上になるな...」とすぐイメージできました。
「お父さん、今すぐは無理だけど...行けないことはないけど...長時間移動になるし、電車や飛行機で手伝ってもらいながら帰れるんじゃない?」
そう言ってみたのですが、
「だけど今借りている車椅子を(富山で)返さないといけないし、お父さんがお母さんをずっとおんぶは難しいし、車だと楽だろ?? お母さんの気持ちも楽だろうし。すごく痛がってる」
「(ずっとおんぶしなくても要所要所で車椅子借りられそうだけど)まあ確かにそうだけど、とりあえず今すぐにはいけないから、明日どうするか話そうか」
「わ、わかった」
電話を切ったあと、自分の予定を確認した私。
行けなくはない。
だけどすごい距離だな......。
と、改めて思いました。
そして、もし私たちが行けず、車で移動できなかったら、荷物もあるだろうに、父は母をおんぶして九州まで帰るつもりなのか......。
すごいと思いつつ、車椅子レンタルがないのかなど調べました。
そして翌日、昼前になっても父から連絡が来ません。
なにか大変なことになっている⁉と不安になり、父の携帯電話を鳴らしても、母の携帯電話を鳴らしても、電話に出ません。
ますます不安になった昼過ぎ...ようやく父から電話がありました。
「連絡とれないから心配してたんだよ!」
「いやーそれが......。お母さん大丈夫だった」
「え??」
「ちょっと待って、お母さんに代わる」
「もしもし? ごめんね大騒ぎしちゃって。昨日あれだけ痛くて歩けなかったのに、今朝痛みがひいて歩けるようになったのよ〜」
「え? そ、そうなんだ。よかったね」
「昨日温泉入れなかったけど朝入って、みんなで朝ごはんも食べたのよ。さっき宿チェックアウトしたの。あ、お父さんがちょっと代わってって」
「う、うん」
「(小声で)昨日お父さんが話したことは、お母さんに言わないでいいから」
「あれだけ心配してたんだから、言ったらお母さん喜ぶのに」
「いいから。じゃあね」
その後二人は、福岡へと無事帰宅し、結果的に楽しい旅になったようです。
それにしても......。
普段は寡黙な父。
あんなに動揺している父は初めてで、ちょっとかわいいとこあるな、と思ってしまいました。
「結婚してから一度も感謝されたことがない」
母がそうボヤいていたことが何度かあるので、父があれだけ動揺して「車ですぐ迎えに来い」と言ったこと、おんぶして帰ろうとしたこと、それを母に伝えたら喜ぶと思います。
なので、いつかこっそり、父には内緒で母に話そう...と密かに考えています。
久しぶりに実家に帰ろうかなとも、思った出来事でした。
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