<この体験記を書いた人>
ペンネーム:uz
性別:男
年齢:58
プロフィール:25歳になる娘をもつ、58歳の公務員です。娘は子どものころから中学校の英語教師になるのが希望でした。
今年25歳になる娘。
中学校の時にお世話になった英語の先生の影響を受け、中学校、高校と2回アメリカへ短期留学を経験するなど「英語大好き少女」として成長しました。
「大の英語嫌いの子どもなのになあ」とからかうと「親に似なくてよかったわ......。顔も含めてね!」とやり返されていました。
そんな娘の夢は「中学校の教員」。
ですが、教員養成大学を受験するも不合格。
一般の大学に進み、専攻課程に加えて教職の課程を取りました。
通常の講義のほかに、夏休みの集中講義に出席するなどし、人一倍頑張って見事に教員免許を取得しました。
ただ、もちろん資格を取っただけですぐ教師になれるわけではありません。
「ああ、ないなあ、ダメだったかあ......」。
大学の卒業を控えた秋、パソコンの画面を見つめながらため息をついていた姿が忘れられません。
それが教員採用試験の結果発表のページだと知ったのは、しばらく経ってからでした。
一般企業に就職する道もありましたが、娘は中学校で外国人子女の日本語指導をする非常勤講師の道を選びました。
「勉強しながら仕事できるからね......まだあきらめたくはないから」と前を向いていました。
しかし慣れない仕事をしながらの採用試験は想像以上に大変だったようです。
2回目の挑戦は、大学卒業時には受かっていた1次試験にも通らず。
今回も夢には届きませんでした。
しかし講師としての生活が、彼女の「教職への希望」を、一層強くしたようです。
「小学校の方が採用はいいみたいだよ。小学校も英語が始まって専科の先生も採用するみたいだからね」と話すと、娘は通信制の課程で小学校教員の免許を取ることに決めました。
講師2年目は通信制の課題もこなしながらの教員採用試験への挑戦となりました。
結果は...またも残念。
2次試験の壁は厚く、三度、彼女は試験に阻まれました。
「小学校の免許を取るにはもう1年かかるんだろ? 免許を取る時間ができたと考えたら?」と慰めるのが精一杯でした。
講師生活も3年目、「今年もダメだったら......小学校を受けることにするわ」と弱気な発言。
いつも強気な娘にしては珍しいその様子を見て「よほど自信を失っているのかな...」と心配していました。
しかし、そんな折に受けたTOEICの試験で850点越えの成績が出たということで「これで教採も有利になる」と喜んでいるのを見て、ささやかなお祝いに寿司パーティーを開きました。
「さあ、今年も出陣だな」とはっぱをかけると「うん! 七転八倒ってやつね」「それを言うなら七転び八起きだろ」少し自信を取り戻した様子に明るい兆しを感じました。
そして見事1次試験を突破し、2次試験の日。
娘はいつもの倍以上の時間をかけて身支度をしていました。
「面接がダメなんだよね、私は......」とぶつぶつ言いながら家を出る姿は、正直不安いっぱいでした。
2次試験を終えて帰ってきた娘。
「うまくいった!......ような気がする......」頼りなげな感想です。
大学卒業時から数えて4回目となる今回の挑戦も「自信満々」とはいかなかったよう。
「......来年もふらふらしてたら、ごめんね」とお茶らけて言う様子からも、内心、かなり不安であることがわかりました。
そして、結果発表の日。
講師の仕事から帰宅すると娘はすぐにパソコンの前に座り込みました。
受験票とパソコンの画面を何度も目を往復させていました。
「ねえ、見間違いじゃないよね!」
興奮して言いう娘。
画面上で娘が差し出した受験番号を探すと...ありました!
「やったな! いよいよ正式に英語の先生だ!」と言うと、「まあ、ちょっと時間はかかっちゃったけどね...」と瞳を潤ませていました。
何度もあきらめかけましたが、努力は報われるのだと思った瞬間でした。
新たな英語教師のスタート、本当におめでとう!
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