<この体験記を書いた人>
ペンネーム:かえで
性別:女
年齢:54
プロフィール:今年結婚25年目。家庭内別居中。
この夏、義父が癌で亡くなりました。
義父は気難しい人で、結婚前のあいさつに訪れた際に、緊張した私がコートを着たまま家に上がってしまったことを「躾がなってないと」とがめたのを皮切りに、いちいち私の至らない点を指摘してきました。一年に一度、夫の実家を訪れるのさえ苦痛でなりませんでした。
その義父が亡くなり、少し経った頃です。夕飯の支度をしようとしてカボチャを見ていたら、家庭菜園をやっていた義父に、正月に帰省するたび箱いっぱいの野菜を持って帰らされたことが突然思い出されました。
それらの野菜は無農薬だけあって、虫食いだらけで形も悪く、中には虫がニョロニョロといるものもありました。スーパーで売っているもののようにすぐに食べられる状態ではなく、下処理に時間がかかってしまうので、私はこんなもの有難迷惑だと、いつも家に戻ってきてから愚痴をこぼしていました。
夫の実家に帰るストレスと、要りもしない野菜を山のように持たされて、それを捨ててしまうこともできず、毎日大嫌いな虫と格闘しなくてはならないストレスで、手作りの無農薬野菜の有難さも全く感じられずに毎回文句ばかりを言っていました。
ですがこのとき、そのことが何故かとても申し訳なく思えてきたのです。カボチャを見つめながら、義父が無農薬で一生懸命育てた野菜に何であんなに文句ばかリ言ってしまったのだろう、お義父さんごめんなさい、という思いでいっぱいになり不意に涙までこぼれてきました。
なぜ今、カボチャを見てこんな感情になるのと自分でびっくりしました。今まで義父の野菜のことなんて思い出したこともなかったし、だいたい義父に対して愛想もなかった嫁の私が、義父を思って涙を流しているなんて......。自分でも不思議に思えて仕方がありませんでした。
数えてみたらその日は義父の死から四十七日目にあたりました。
そのとき、寒くなったこの季節には珍しく、リビングの窓に一匹の白い蛾がとまっているのに気づきました。そして、私の父が亡くなったときに、母が「冬なのにベランダに蛾がとまっているけれど、あれは絶対に父が帰ってきていたと思う」と言っていたのを思い出しました。リビングの蛾は夜中になってもずっとそこから動かずにいましたが、翌日になったらいなくなっていました。
私は、きっとあの白い蛾は義父が四十九日を前に三人の子供たちに一日ずつ、まずは長男の夫のところにお別れにやってきたのではないかと、思わずにはいられませんでした。私に会いに来たのではないのかもしれませんが、やはり義父が近くにいたことによって、ふだん義父のことなど考えもしない私までも義父のことを思い出したのではないかと、今でもそう思えて仕方ありません。
義父を思い出し涙を流したのは、後にも先にもあの日だけです。不思議なことってあるものですね。
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