宗教学者の山折哲雄さんは以前、『毎日が発見』2011年3月号に登場してくださいました。東日本大震災の直前のことです。
浄土真宗本願寺派の僧侶で、教えを広める開教師であった父の赴任先、サンフランシスコで生まれ、少年時代を岩手県花巻市にある母の実家(浄土真宗の寺)で過ごした山折さんにとって、東北はまさしく故郷です。震災直後から頻繁に東北に足を運び、講演活動や提言を続けてきた6年数カ月。
「東北では生き残った人たちが、いまもなお死者の行き場のない魂を鎮めようと祈りを続けています。イタコさんやオガミヤさんを通して死者の思いを聞く人も少なくありません。
その一方で、死後離婚、家族葬、直葬、樹木葬といった言葉が飛び交うようになった。さらに、急速に医療技術が進化し、なかなか死ねなくなった。日本人の死に対する考え方が、いま、大きく変化しているのを感じます」と山折さんは言います。
宗教学者として生と死を見つめてきた山折さんに、人生百年時代の死生観、そして〝身じまい〟の仕方について伺いました。
日本人は、死んだ人間の扱い方を忘れ始めている
「この前、京都で仏教関係者の集まりがあり、京都の老舗仏具商の方と話をする機会がありました。『最近、大きな仏壇が売れなくなった』と言うのです。しかも、最近の人はコンパクトな仏壇を買って、ご先祖様だけを祀り、大日如来や阿弥陀如来といった仏様は祀らないという。仏壇には仏様とご先祖様の両方を祀るという昔からの風景が変わってきたのは、ここ十年のことだそうです。もちろん地域差はあると思いますが、日本の仏教の中心地ともいえる京都で、この仏教離れです。あと十年もしたら、仏壇そのものも必要なくなるかもしれません。では、日本人は死者を、先祖をどう祀るのか。そこが問題です」
先祖とは何か。それを考えるなら、『遠野物語』などを残した民俗学者、柳田國男の『先祖の話』が参考になると山折さん。
「『先祖の話』が刊行されたのは、敗戦の翌年です。私にはこの書が、戦争で非業の死を遂げた若者たちの鎮魂のために、そして、敗戦後の日本人の拠り所を明らかにするために書かれたのだと思えてなりません。それは、東日本大震災で家族を亡くした東北の人たちが、故郷の復興を心の拠り所にしていることと全く同じです。故郷こそ、日本人にとっては自分が還る墓、墳墓の地なんです。それが、次第に忘れ始められている気がしますね」
先祖とは、その土地に宿る神のこと
先祖とは、〝死者の霊が家の裏山などにのぼって鎮まり、供養と浄化の一定期間(四十九日、百箇日、三十三回忌など)を経て祖霊(先祖)となり、やがて崇拝・祭祀の対象となった存在〟と柳田國男は書いています。
「そう言われても、いまの人たちにはピンとこないでしょう。簡単に言えば、ご先祖様とは、その村を守る氏神であり、正月に訪れてくれる歳神や田の神、山の神なんです。こうした先祖信仰のもとになっているのは、日本に古くから根付いていた『人は死ぬと魂が山の頂にのぼり、神になる』という山岳信仰です。そこに、『人は死ぬと西方浄土に赴いて仏になる』という仏教の浄土思想が結びつき、神仏習合の信仰が生まれ、日本では神も仏も、ご先祖様も、イコールになった。やがて平安時代末期になると、貴族たちの間では極楽往生を願って菩提寺を建て、遺骨を葬るという習慣が登場します。この納骨習慣がお寺と檀家を結びつける檀家制度へと発展し、現在の葬式仏教をつくったんです」
次の記事「医療の進歩で選択が難しくなった生と死~山折哲雄さん(宗教学者)に聞く日本人の死生観(2)」はこちら。
取材・文/丸山桂子
1931年サンフランシスコ生まれ。54年、東北大学文学部インド哲学科卒業。東北大学大学院を経て、春秋社編集部入社。76年、駒澤大学助教授、77年、東北大学助教授、82年、国立歴史民俗博物館教授、88年、国際日本文化研究センター教授を経て、同センター所長などを歴任。『仏教とは何か』『神と仏』『美空ひばりと日本人』『デクノボーになりたいー私の宮沢賢治』『わたしが死について語るなら』『義理と人情 長谷川伸と日本人のこころ』など著書多数。