こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年が経ちました。
前回の記事:若い療法士さんに鼻の下が伸びる義父。他人と話ができたのは大きな一歩!/山田あしゅら
高齢になると持病の一つや二つ誰にでも出てくるものです。
病気の種類によって複数の医療機関に通うことも少なくありません。
義父の場合、難病指定の病気のために整形外科。高血圧の治療のために内科。うつ病、不眠症のために心療内科。
義母は、糖尿病の治療のための内科と認知症治療で義父と同じ心療内科に通っていました。
介護が本格化する直前にペーパードライバーを返上して運転をはじめた私。この頃になると車の運転は必要不可欠なものになっていました。
多い時は週に2~3か所の医者通い。それに加えて義父は少し遠い目的地まで「乗せていけ」と言うこともしばしばだったのです。
義父はうつ病になる前、毎日のように車の運転をしていました。
自分が思うまま好きなところへ行ける自家用車はとても便利なものですが、いつまでも自分で運転できるわけでなく、この便利さを手放さざるを得ないときは必ずやってきます。
車への依存度が高い場合、自分の足腰が弱ってから頼みの『あし』を失うことになるのですからなおさら抵抗感は強くなるのです。
義父も典型的なそういうタイプでした。
特に現役終盤の5年ぐらいは通勤で鉄道の駅(家から3キロほど)まで向かうのは必ず自家用車。バスを使うなどほかの手段を選ぶことはほとんどありませんでした。
引退後病を得てうつ病にかかり、しばらく運転から遠ざかったものの躁状態に転じるや
『車を運転したい』という気持ちがムクムクとわいてきたというわけです。
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車を運転したい理由は義父本人の用事のためということももちろんありますが、一番は義母の通院を懸念してのことだったようです。
義母は糖尿病治療のため認知症を患う前から月1回の受診に通っていました。
一人で通院していたのが、認知症の進行によりだんだん難しくなってしまいました。
うつ病を脱した義父はそんな義母を見かねて自分の運転する車で病院へ連れて行きたいと強く思うようになったのです。
既に義父の『アッシー』となっていた私でしたが、乗せたところで感謝の念もガソリン代も出ない義父。
そんな無償タクシーの運転手が常に温厚対応するわけがありません。
おそらくこういった気持ちも少なからずあったのでしょう。
この状態から免許の再取得はおそらく非常に難しいと思われますが、家族としては高齢の義父が車の運転をしようとすることは何としても止めたいところです。
結果、義父母の通院送迎は全て私が引き受けることにしたのです。
介護タクシーを使っては?という意見もいただきましたが
当時、この界隈で介護タクシーは少なく、事前の予約が必須でした。突発的に車に乗りたいという義父には使い勝手が悪かったのです。
また、義母を受診に連れて行くとなると、車から降りてから診察を受けて薬をもらうまで逐一介助が必要なのです。
トイレで採尿し、処置室で血圧測定、血液検査を済ませてからしばらく中待合で待ち、その後診察という病院の流れを義母は理解できなくなっていたからです。
一応、面倒をみているつもりの義父ですが、対処できるわけもありません。
介護タクシーは頼めば病院内の介助もしてもらえますがそれには別途料金がかかります。
結局、二人が車いすの状態になり、どうしても使わざるを得なくなるまで介護タクシーを利用することはありませんでした。
とにかく義父に運転をあきらめさせること。
そのためにまず義父の目の前にある生活の不安を払しょくさせること。
面倒なことではありましたが今思えば当時は必要な『アッシー』だったのだと思います。
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