<この体験記を書いた人>
ペンネーム:もみじ
性別:女
年齢:54
プロフィール:3歳年上の夫とは結婚25年。家庭内別居中。大学1年の娘と大学院1年の息子がいます。
結婚前の理想のタイプは優しくて頼れる人、それだけでした。
家族の愛情や友人の優しさのなかで過ごしてきた私にとっては、優しい気持ちを持った人、それがまず一番に相手に求めることでした。
夫とは近所の知人の紹介、いわゆるお見合い結婚でしたが、写真で見た夫は爽やかで優しそうに見えました。
でも何度も会うことなく結婚したあとに私は愕然としました。あらゆることにおいて、私と夫は価値観が全く違うのです。
私の考える常識とは全く違った行動をする夫が理解できず、また夫も理解できない私に対していらだつということが増えていきました。
なんでそんなことを言うの?なんでこんなことするの?と思うことだらけ。
苦しい毎日が続きました。
自分を否定され続けられているようで精神的にも追い込まれ、それまでの明るい自分を見失いつつありました。
そして夫に自分の考えを通すために、私はかなり攻撃的にものを言うようになっていきました。
母にも結婚してから私は性格が悪くなったと言われ、確かに自分でも変わってしまったと思いました。
そしてそんな風になってしまった自分が嫌でたまりませんでした。
結婚相手によって自分が嫌な人間になっていく。
昔から言われていた離婚理由の「性格の不一致」というのはこういうことなんだと改めて感じました。
そんな夫から言われた言葉で、24年近く経っても、そしてこれからも一生頭から離れないだろうと思う言葉があります。
それは長男を出産した日曜日の朝のことです。
予定日を4日過ぎ朝起きると、恥骨の痛みがひどく私は布団から起き上がれずにいました。そんな私に夫が「病院に電話しろ」と言うのですが、病院からは定期的に痛みがくるようになってから電話するように言われていたので「まだ大丈夫」というと、白けたような顔で「大丈夫なら心配させるようなことは言うな」と言い放ったのです。
よくテレビなどでは旦那さまが「大丈夫?」などと腰をさすってくれたりという場面を見ますが、そんなことは夢のまた夢の話です。
もう今日にも出産しそうだというときに、痛いのひとことも言ってはいけないの? ちっとも心配してるようには見えないのに、心配させるなとはなんて自分勝手なのと腹が立ちました。
そのあと私は時々来る痛みにも声を出すこともできず、こんな家にいたくないの一心で一人で家を出て泣きながら1月の冬空を当てもなくさまよい続けました。
そして陣痛が来た夕方には親に電話をして病院に付き添ってもらいました。
今でもそれは私の中でプチ家出として記憶に残っています。
主人はというと私がただ買い物か何かに出かけたと思っているようですが。
それからの私はもう夫に優しさを期待しなくなりました。
でも私も夫には優しさを与えていません。
だってそれでは不公平ではありませんか。
ただ、今でも夫に優しくされたいという思いはあります。
相手に優しくされたときの安心感、嬉しさ、心が穏やかになる気持ちを感じたいし、そして自分自身ももっと優しい人間になれると思うからです。
そう思っても「大丈夫なら心配させるようなことは言うな」、その言葉が頭から離れず、あのときの自分の悲しさや恨みやつらかった気持ちを思い出しては、どうしても夫に優しい態度をとることができずに今日も1日を終える私です。
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