性別:女
年齢:41
プロフィール:幼い頃に両親と生き別れ伯父の養女となり、実父の兄を「父」、血のつながっていない伯母を「母」と呼んで育ちました。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
◇◇◇
息子を妊娠した際、すぐに母に妊娠を報告すると、出産予定日をきかれました。
9月下旬と答えたところ、あっさりと「稲刈りの時期だから忙しい」と言われてしまいました。
忙しいといっても、実家は家族で消費する程度の米しか作っていません。
稲刈りも兄が中心に行い1日で終わります。
それでも、孫が産まれることよりも稲刈り優先なのかと唖然としました。
当然孫が産まれることを喜んだり祝福してくれたりすると思っていたので、まさかの残念な反応でした。
「帰っておいで」とも言われないので妊娠中も里帰りせず、夫と二人でアパート暮らしをしていました。
出産当日の朝、陣痛が始まったのでタクシーで一人病院に向かいました。
夫は仕事中で携帯電話がつながりません。
母に電話しにくいものの、黙っているのも怒られそうなので、父に電話しました。
午後になった頃、父母が病院に来てくれたのですが、着いてすぐに母が「家に帰る頃には夕方になっちゃうから、あんたの旦那に電話したら帰るね」と言って父を連れて去って行きました。
ほかの妊婦さんのご家族は、入院中も出産中も心配そうに付き添っているようでしたから、いよいよ分娩室に移って産もうというときになってひとりぼっちにされるとは思いも寄らず、孤独を感じました。
孫が産まれる瞬間よりも、夕方までに帰宅することを優先するなんて信じられず、とても悔しかったです。
夫が病院に来たのは、仕事を通常通り終えて夜遅くなってからでした。
私に電話をかけても通じないから病院に来てみたと言うのです。
母から電話がかかってこなかったかときいても、着信がないと言います。
後日母に確認したところ、夫ではなく他人に間違い電話をかけて留守番電話に伝言を残したようです。
夫の実家にも連絡してくれるはずもなく、夫も夫の両親も、私が分娩室にいることを知りませんでした。
日付が変わる頃まで産まれず、助産師さんが一人で対応していたのですが、夜中に来てくれた主治医が私のお腹の上に登って赤ちゃんを押し出すと、へその緒が首に巻き付いていて仮死状態でした。
無事に育つか不安で、産後病院で一人泣いてばかりいました。
幸いにも息子は3週間検査入院した結果、異常がないので無事に退院し、元気に成長しています。
そして時が経ち息子が5歳になる頃、母が「もう一人産まないの? 一人っ子じゃかわいそうだよ」と言いました。
初めての妊娠も出産も育児も、孤独で不安だった気持ちを知らずに、親らしい協力をしてもくれないくせに、余計なお世話を平気で言ってくる母が憎らしいです。
先日、母が「評判のいい病院に行ってみたら、家からも通いやすいし、車も停めやすくて、いい所だったよ。あんないい病院があるなんて知らなかった」と、初めて行ったような口ぶりで、私が出産した病院の話をしました。
そこで孫が産まれたと認識していないのです。
いかに私の出産に興味がなかったのかということが改めてわかりました。
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