もしかして認知症?の母との思い出作りは、感動よりも"気持ちよさ"優先で/うちの親にかぎって!

もしかして認知症?の母との思い出作りは、感動よりも"気持ちよさ"優先で/うちの親にかぎって! okan3.JPGこんにちは、松風きのこです。初めての母娘2人旅で訪れた沖縄で、母が認知症なのではと気づいた前回。その前から足腰はかなり弱っていたので、なるべく歩かなくていいルートや母の好きそうな場所は下調べして、念入りにコースを想定していたのですが、想像を上回る母の失敗の連続に、行程を見直す(というか諦める)ことにしました。

 
迷子と忘れ物の嵐に、行程を練り直し! なんにもしない(できない)旅に路線変更

キレイなものを見れば気持ちも晴れる(元気になる)と思ったのですが、水族館でも植物園でも、とにかくはぐれたら命取り(大げさ...ではない)なので緊張感マックス! 常にピッタリくっついているか、見えるところにいなければなりません。カンタン携帯を持っているからちょっとした自由行動ならできるだろう、なんて考えは甘かった。慌てると電話をかけることも出ることもできない...というか電話の存在すら忘れてしまうのですから。

飲食店に入ると必ずトイレに行く(それも今思うと不安のせいだった)のですが、そのたびにバッグや杖を忘れたり、席に戻るのさえ迷ったりするので、いつも落ち着かない様子。食欲もなく美味しいものにも興味がないようなので、下調べしたグルメ情報も諦めました。

途中1日、沖縄在住の友達が案内してくれることになっていたのですが、もうホテルの外に出るのやめ! 友達も事情を察して合わせてくれ、食事もホテルのラウンジで済ませ、プールサイドでお茶をしたり、ただの女子会に。
母はなぜか昔から私の友人と話すのが大好きだったので、若くてオシャレな友達が来てくれて、若返ったようにキャッキャとはしゃいでいました。

私「"なんにもしない"って贅沢よね~」
友「旅慣れた人みたい~♪」
母「そうよお、休むために旅行に来てるんだもの~」(←母はいつも休んでるけどナ!)
こんなこと、わざわざ旅先でなくたってできるけど...まあ、楽しんでくれるならいいか。
ホッと胸をなでおろしたのもつかの間、ここでも恒例の忘れ物...。

今思えば一緒に部屋に帰ってから取りに行けばよかったとか、席を立つ時には忘れ物がないかチェックするべきだったとか、いろいろ反省はあるのですが、当時は私も認知症に直面したばかりで、まだまだ「これくらいはできるだろう」とか「こんなこともできないとは」という予測が追いつかなかったのです。

それでも気を利かせたつもりで私だけひとっ走り取ってこようと、「先に部屋に入っててね」とキーを渡し、急いでUターンして戻ると、カギの開け方が分からず他の部屋の前でオロオロしている母が...(開けられなくて逆によかったけど)。そんなことがないように、部屋までは間違えようもない一本道の廊下で、最もロビーに近く番号も覚えやすい1号室を指定していたのに。

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ホテルのプールサイドにて。このあと母が部屋に戻ってこられないとは夢にも思わず...

 
緊張で疲れたのか、いつもより早く寝てしまった母を見届けてから、私はひとりで現地の友人がやっているバーに行きました。

「めんそーれ!おかあさん、沖縄満喫しとるかーい?」
「それがさ、本当はここにも連れてきたかったけど、それどころじゃなかったの。実はね...」と沖縄に着いてからのしょんぼり事件を話すと、マスターは
「それならビーチで裸足になって海に入るといいサー」
「えっ?まだ寒くない?(この頃気温19度前後)」と驚くと
「海水は生あったかくてちょうどいいはず。人って質感とか温度とか、肌に直接触れたものは覚えているっていうし、いい刺激になって覚醒するかもしれないサァ」
「ヘレンケラーみたいに!?」
「ゥワラー(water)って? 発音よかったりして!」
...とちょっと希望が見えてきたので、奇跡が起きるのを期待して(?)、さっそく翌日やってみました。

母は汚れるとか面倒だとか言ってイヤがっていましたが、「私が洗って拭いてあげるから!」とズボンをまくって裸足になると、だんだん童心に返ったように笑顔になり、砂浜を気持ちよさそうに歩いたり、海に浸かると「そうよね~。これが海よね~」と喜んでいました。

 

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母とズボンをまくって、海に入ってみた

 

母が眠りについたあと、涙が止まらなかった夜

最後の夜、母がベッドに入ってからしんみりと「おかあさんはダメねえ。いっぱい失敗しちゃったわね。もう旅行になんて連れて行けないと思ったでしょう?」と言われ、見透かされているようでドキッとしました。慌てて「ううん、逆だよ! もっともっと連れ出して鍛えないといけないなと思ったよ!」と答えたら「ほんと?ならよかった。鍛えてね。ありがとう」と笑いながら寝てくれたけれど、私はその後、布団をかぶって泣きました。本当はこれが最後の旅行かもしれない。もっと早くに連れて来ればよかったと。

母はもうずっと前から、旅行に行けなくなっている自分(身体的にではなく能力的に)を自覚していたのかもしれない。だからあのとき、旅行に行きたいとつぶやいたのだ。この後、帰ったらもうきれいな景色も、沖縄に行ったことさえも忘れてしまうかもしれないけど、せめて海の気持ちよさは覚えていてくれるといいなと願いました。

そして帰って数日後。

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証拠写真を見るたびに(何度でも)驚く母。本当に忘れるとは...。

次回に続く。

次の記事「「そんなに親を病人扱いしたいのか!」認知症に気づいた私が悪者に?/うちの親にかぎって!」はこちら。

  

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松風きのこ(まつかぜ・きのこ)さん

大学進学で上京し、広告制作会社でコピーライターを経験したのち、広告、雑誌を中心としたフリーライターに。父(82歳)母(81歳)は福岡在住。5年前、父が頸椎の手術をしたのを機に、それまで年に1週間程度だった帰省を3~4ヵ月間に増やし、さらに母が認知症と分かったため、東京と福岡を往復しながら遠隔介護中。母が認知症だとは気づかずに過ごした数年の間に、周囲がみんな逆効果の対応ばかりしていたことに思い当たり、この体験記を書くことに。

 

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