こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年が経ちました。
前回の記事:実親と義親、同時に介護が必要に!支えになってくれたのは.../山田あしゅら
前回も書いたとおり、義父母の介護とほぼ時を同じくして実家の父も体調があまり芳しくない状態が続いておりました。
独身時代の20代半ばで片方の腎臓の摘出手術を受けていた父は、結婚後も身体が弱く、連れ添う母は気の休まる時がなかったと言います。
それでも父本人の頑張りと母の支えでそれなりに充実した人生を送ってきました。
ところが60代で胃がんの手術を受け何とか切除は出来ましたが、それからというものまるでドミノを倒すように様々な病気と闘わざるを得ない身となってしまいました。
私としては同居の義父母のことも気になりますが、実の父母のことはもっと気になります。
しかし、相手は
自分のことで頭が一杯一杯の義父と、
認知症で自分のことすら怪しくなりつつある義母です。
そんな風に半ば諦めの気持ちを抱きつつ、悶々とした毎日を送っておりました。
しまいには封印しておきたい夫婦げんかまで始まる始末です。
実両親のことを心配しながらも
義両親の状況次第で見舞うこともままならない歯がゆい思い。
結局私は何をどうしたかったのか?
何もかも私が背負い込まなければならない!と自分で自分を追い込んでいたのかも知れません。
今になればそう思えることも、混乱とマヒの渦中では考えを置き換えることすらできなくなるようなのです。
そんなある日のこと
理不尽な要求を続ける義父に対してとうとう
という言葉を気がついたら投げつけていた私。
義父は一瞬「ぎょっ」とした表情を浮かべると
次に「ボソッ」と
と、つぶやくように言いました。
それからだったように思います。義父があまり無茶を言わなくなったのは。
おそらく義父の方には私に対する甘えがあって「この嫁にならこれだけ言っても大丈夫」という気持ちが働いていたのかもしれません。
これが結果オーライだったのかどうなのか?
それが分かるのはもうしばらく後になるのですが、とにかく義父が変わるきっかけになったことは確かです。
ただ、この日を境に義父の私への呼び名が『あしゅちゃん』から『あしゅらさん』になってしまいましたけどね。
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