こんにちは山田あしゅらです。
義両親の在宅介護の様子を嫁の目線で綴った ブログ『13番さんのあな―介護家庭の日常―(現・13番さんのつぼ)』。
ここに書いてきた13年間の記録をもとに 今の気持ちを織り交ぜつつ、改めて当時のことを振り返ってみようと思います。
【前回】これで坂道も安心?抑速ブレーキ付きの歩行器をレンタルすることに/山田あしゅら
【最初から読む】義両親の様子がおかしい...介護生活がはじまった日/山田あしゅら
義父の不穏なつぶやきと共に始まった歩行器の利用。
歩行器や車いすのような機材を『福祉用具』といいます。
『日常生活の自立を助ける』のが重要な利用目的のひとつですが義父にとって歩行器がそれに当てはまっていたかどうかと言えばいささか疑問が...。
まず いかんせん『超バリアアリー』な我が家。
至る所不都合な箇所が多く、家の中で使うことは結局ありませんでした。
一番歩行器が活躍したのは持ち込みOKだったデイサービスかも知れません。
時々家に居る息子たちも義父の歩行訓練に付き合ってくれましたが
機会は限られています。
それでも義父は相変わらず『歩行器があれば自分の思い通りに出歩くことが出来る』と思いこんでいるフシがあり目が離せないのです。
私の外出時など歩行器を義父の目の届かない場所に隠すこともたびたび。
こういった義父の『過信』はどこから来るのか?
私たちには理解に苦しむ場面が多々ありました。
そう言えばこんなエピソードも...。
一時期、車に歩行器と義父を乗せスーパーまで行き店内の買い物を兼ねた歩行器訓練をしてみたことがあったのです。
夫のようにスーパーまで歩行器を使って連れて行くのは無理にしてもフラットなスーパーの店内のみなら「私だけでも何とかなりそう」と踏んだわけです。
数回ほど事無く済んで「おっ。やれないこともないじゃん」と思ったのですが調子にのっちゃあいけませんね。
慣れてきたのか、ついつい沢山品物を買い込もうとする義父。
ミカンの袋が歩行器の上に乗らず私が片手に持ったのが運の尽きでした。
ミカンの袋の口が開いてしまいミカンがバラバラ。
そしてそちらに気を取られ思わず離してしまった義父のズボン。
バランスを失い義父は歩行器と一緒に前のめりに転倒してしまったのです。
たまたま何もないところでゆっくり倒れたので怪我はありませんでしたし周りの人たちが駆けつけてくれたので事なきを得たのは幸いだったのですが、無理は禁物を肝に銘じた出来事でした。
義父の今の状態で歩行器の導入は正しかったのかどうか?
しかしこの歩行器。
4年後に入院入所する直前までレンタルは続きました。
その間、生じたアクシデントは数知れずではありましたが当人の『歩きたい』気持ちを支え続けてくれる存在だったことも間違いはなかったようです。
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