<この体験記を書いた人>
ペンネーム:そらまめ
性別:女
年齢:52
プロフィール:末っ子が来年は高校生に。今後、自分の時間をどう使おうか考えている今日この頃です。
今から34年前、私が高校3年生の頃の話です。
当時、私たち家族は父方の実家で暮らしておりました。
父方の実家は曾祖父の代からこの土地にあり、本家といわれる家でした。
実家の周りには代々受け継がれている畑があり、祖父は農業をしていましたが、父が農業を継がなかったため、高齢になった祖父は畑を縮小して一人で農作業をしていました。
祖父は子どもの頃からずっと住んでいるこの家が大好きで、私は祖父が旅行に行ったり遠出をしたりした記憶がないくらい、畑以外はずっと家におりました。
年齢を重ねるにつれて、祖父は「死ぬなら家の畳の上で死にたい」と周囲によくもらしていたものです。
そんな祖父が8月頃から体調を崩して入院をすることになりました。
最初はすぐに退院できるだろうと考えていたのですが、思ったよりも体調が芳しくなく、長期の入院を余儀なくされました。
11月のある夜、祖父が入院している病院から電話がありました。
祖父の体調が急変したのですぐ来てくださいとのこと。
「とりあえず行ってくるから。何かあったらすぐに電話するから」
そう私に言い残し、両親と祖母は病院に駆けつけました。
家に残された私と弟は2階のそれぞれの部屋で過ごすことにしました。
1時間ぐらいたった頃、ガラガラと玄関の引き戸が開く音がしました。
「母さんたち、もう帰ってきたんだ!」
病院からの電話の後は不安な気持ちでいっぱいでしたが、「帰ってきたってことは病状が落ち着いたのかな?」と思いつつ母が声をかけてくるのを待っていましたが、一向に声がかかりません。
「どうしたんだろう?」
部屋を出てみると、弟もちょうど部屋から出てきました。
「今、玄関が開く音がしたよね?」
「俺も聞こえた! でも何も声がかからないから部屋から出てみた」
「やっぱり! 私もそう思って部屋から出てみたのよ」
そうして2人で物音のしない階下を見ました。
「お母さん、帰ってきたの?」
階段の上から大声で叫んでみましたが、何の反応もありません。
弟と二人で下に降りてみると誰もおらず、玄関も鍵がかかったままでした。
私と弟が恐怖と不安を感じ始めた頃、電話がなりました。
「おじいちゃんが息を引き取ったよ」
それは母からの電話でした。
「家の戸が開く音がしたってのに誰もいないし玄関も開いてないんだけど...」
震えながら訴えると、電話の向こうで母が納得したように言いました。
「あー、おじいちゃんの魂が家に帰ったのね、きっと。入院中もずっと家に帰りたいって言ってたし、家の畳の上で死にたいって言ってたから」
「そんなことってあるのかな?」
弟も私も半信半疑でしたが、でも、家が大好きでずっと畳の上で死にたいと言っていた祖父だから、祖父が家に帰ってきたと言われればそうなんだろうなと納得する自分もいました。
あれから約30年、今でも玄関の戸が開く音を鮮明に覚えています。
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