「『ありがとう』でええんじゃ」思い出す亡き父の背中。「寡黙で怖い父」はとても優しい人でした

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:とらとら
性別:女
年齢:52
プロフィール:今年53歳の兼業主婦。最近亡くなった父のことをよく思い出します。

「『ありがとう』でええんじゃ」思い出す亡き父の背中。「寡黙で怖い父」はとても優しい人でした pixta_46345011_S.jpg

最近、数年前に病気で亡くした実父の遺品整理をしました。

本当はすぐ整理するべきだったのでしょうが、父が亡くなってからしばらくの間、実母が元気をなくしており、整理もできない状態でした。

しかし、母もようやく元気になり、習い事など外に出ていけるようになってきたので、少しずつ整理することにしたのです。

そこで、古い写真を見つけました。今の私の実家ではなく、山奥の、今では秘境とも呼ばれるような土地の、木造でできた建物の前で家族で写っている写真でした。

父の顔は、何に怒っているのかというほどしかめっ面でした。

それを見て私は笑ってしまいました。

確かに私の父は寡黙な人で、実の娘の私も幼い頃は少し怖かったです。

実際友達からも「お父さんちょっと怖いよね」と言われるほどでした。

ただ、それは見た目だけで根は優しかったんだと思います。

実は私が山奥の家で過ごしていたのは、祖父が営林署(今の森林管理署)に勤めていたからなのです。

本当に自然豊かな場所で、子供の足でですがふもとの川まで徒歩で30分くらいかかっていました。

私は夏には必ずその道をくだっていって、川で泳いだり、石を投げたりアマゴなどの魚をとったりしていました。

しかしある日、川で大きな石に飛び乗ったときにバランスを崩してしまい、足をくじいてしまったのです。

腫れがひくまで川に足をつけてじっとしていたのですが、なかなか腫れは引かず、日も落ちてきてどうしようかと泣きそうになっていた時でした。

父が私の名前を少し焦ったように呼びながら川に降りてきてくれました。

どうやら仕事から帰ってきた時間にも関わらず、私が家の近くに見えないので慌てて探してくれたようでした。

私は父の背におぶってもらい家に帰りました。

まだ稲穂の出ていない田んぼの横を黙って歩き続ける父の背中で、私はどうしようと困っていました。

当時門限と言われていた5時までに家に帰っていなかったからきっと怒っているんだと思ったのです。

ずっと何も言わない父に、私は勇気を出して「ごめんなさい」と小さく呟きました。

しかし、父は「こういう時はな『ありがとう』って言うたらええんじゃ」とそう言ってくれたのを覚えています。

「ありがとう」と言い直すと、父は「分かったらええんじゃ」と優しく答えてくれました。

夕暮れの、赤とんぼが飛び、ヒグラシの声が響く中、父はまた黙ったまま家まで歩き続けました。

ただ、その父の背は広く、そしてあったかく、とても心地よかったです。

寡黙で強面な父でしたが、本当はすごく優しい父だったと、今でもそう思っています。

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