<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ころちゃん
性別:男
年齢:53
プロフィール:教育業界で長年働いてきて、少子化の加速も目の当たりにしてまいりました。今は80・50問題を引き起こさないよう気をつけております。
数年前ある学習塾に勤めていた時の話です。
塾は個人経営で社員も5名でしたが、数百の生徒を抱え地域では中堅でした。
社員は皆40代半ばで、私が一番の新米。
50過ぎの塾長はパワハラ気質で、自分で入った後のトイレのドアが開けっ放しだと怒鳴り散らすような、理不尽な言動の多い人でした。
罵詈雑言に満ちた日々に、社員の間には疲労と鬱憤がたまっていました。
そんなある日、私が出社すると、私以外の全員が塾長室にこもっていました。
不穏な空気を感じていると、その夜今度は私だけが塾長に呼ばれ、私以外の4人が退職届を出したと聞かされました。
理由は明白ですが一応尋ねると、「分からない」ととぼけた調子でした。
さて、4人は塾長の説得も空しく1カ月後には退職し、私に対しては「早く辞めた方がいい」と言い残しました。
塾長は急遽派遣社員をかき集め、運営を継続するのに四苦八苦でした。
そんな中、学校帰りの生徒が教員室に立ち寄りました。
「前にいた先生たちが学校の前でこれ配ってたよ」
それは新塾立ち上げのチラシでした。
塾長が驚愕する様子は胸がすく思いでしたが、すぐに私もうかうかしていられなくなりました。
その夜4人から電話で呼び出され、新塾に勧誘されました。
極秘計画につき、私の動揺を恐れて前もって言えなかったとのこと。
塾長に忠誠などありませんでしたが、彼らに加担するのにも抵抗がありました。
一致団結で塾長にダメージを与え、生徒を引き抜く魂胆が明白だったからです。
翌日から塾長の私に対する監視がきつくなり、夜は夜で4人から勧誘される日が続きました。
新塾に移る生徒の退塾も連日続き、塾長は筋違いにもそんな生徒たちを裏切者扱いしました。
塾の外から、新塾に移った生徒たちが私の名前を呼ぶこともありました。
またある母親から、新塾に行くならついていくので教えてほしいと相談されることもあり、私の神経もすり減りました。
そして殺到する問い合わせの中、ついに説明会を余儀なくされました。
当日、私や派遣の講師を傍らに塾長が口を開きます。
「この度、うちの元社員が面倒を起こし申し訳ありませんでした」
え? 目が点になりました。
「彼らは力量不足でしたが、今後はここにいる優秀なメンバーで、いっそうの熱意で生徒様の指導に励みたいと思います」
そして塾長は、今後のおめでたい展望を尊大な調子で語り続けました。
場はざわつき、一人の保護者が手を挙げました。
「一体なぜこんなことになったのか、ご説明いただけませんか」
そうだ!
「分からない」
塾長は洋画の俳優のごとく肩をすくめて答えました。
「こちらが教えてほしい」
は? 何を言っているの?
「ま、おごり高ぶったんでしょうな」
今回の件はあくまで4人が勝手にやったことで、自分も被害者だと言わんばかりです。
終わった...。
頭を下げ保護者の退場を見送るとき、刺すような視線が痛かったです。
その夜、塾長からダメ押しの一撃がありました。
「変な質問した人がいたやろ。あんな親が子どもをだめにする」
それはあなたが言っていい言葉ではありません...。
この自滅行為によって生徒の流出は加速し、なんと3桁の生徒が辞めていきました。
また騒動の最中、補充したての契約社員が2名辞め、再び補充しなくてはならず、もはや運営は滅茶苦茶でした。
このスキャンダルは近隣に広まり、塾は大幅に規模を縮小せざるを得なくなり、私も年度末を待って退職しました。
どこにでもいざこざはあると思いますが、青少年の前でこんな争いは避けるべきでした。
それにしても、私は期せずして両側に通じ、実は結構危ない立場にいたことに後から気付きました。
悪いことなど絶対しないつもりですが、ぼんやり生きていては巻き込まれると痛感した大きな出来事でした。
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