亡くなる前日に「幸せではなかった」と泣いた義母。暴君だった義父の姿を思い出し、今でも悔やむ

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:むらまゆ
性別:女
年齢:44
プロフィール:専業主婦。夫は46歳。義父は74歳、義弟は42歳。義母は2019年に70歳で病死しました。

亡くなる前日に「幸せではなかった」と泣いた義母。暴君だった義父の姿を思い出し、今でも悔やむ 2.jpg

2021年、義母の三回忌を執り行いました。

私が体調不良だったため、夫と息子(17歳)が立ち会い、無事終えたときに、義母との思い出が甦りました。

義母が亡くなる1週間前に幸せだったか直接聞きました。

答えは「否」でした。

「どうして?」と聞くと義母は「自由がなかったから」と。

義母が亡くなる1週間前に緊急入院をした際、医者から「これが最後の入院」と言われました。

そして私、夫、義弟、義父が交代で病室で立ち会うことになりました。

平日は義弟と義父、土日は夫、3人とも難しいときは私が行きました。

どんどん衰弱していく義母を見て、私は「もう最後かも...」と思いました。

亡くなる前日のことです。

「私が深夜立ち会うから、みんなは帰ってほしい」と夫、義弟、義父に頼み、3人を自宅に帰して病室には私と義母の2人きりになりました。

そして私は義母に今までの感謝の気持ちを伝えつつ、なぜ「幸せではなかった」と言ったのか理由を聞きました。

「金銭面では自由だったよね。それでも不幸せだったの?」

「...(首を縦に振る)」

そのときふと、義母は新婚旅行以外旅行に行ったことがないことを思い出しました。

「旅行に行きたかった?」

「...(首を縦に振る)」

「お義父さんと結婚したこと後悔してる?」

「...(号泣して首を縦に振る)」

私は号泣しながら、「私は優しい旦那さんと息子に出会えたことに感謝しています」と伝えました。

義母も涙を流し続けました。

義母はその時はもう話すことはできませんでしたが、首を振ったり、泣いたりと意思表示はできました。

最後に義母に「もしも生まれ変わるなら優しい人と結婚したい?」と聞いたら泣きながら頷いていました。

その後はたわいもない話をし、早朝義父と交代したのですが、義母はその日の昼に亡くなりました。

思い出すことがあります。

亡くなる1年半前に義母は倒れ、同居している無職の次男、当時は働いていた義父が介護をしたのですが、義母は料理は作れたし動くことはなんとかできたそうです。

しかし、義父の言葉がそれを台無しにしました。

「こんな体で外に出たら近所の人に恥ずかしいから、家から出るな」

そして、家から出ることを禁じられてしまったそうです。

夫も義弟も義父に逆らうことはできず、どんどん義母は弱っていきました。

義父は否定していましたが、入院中の義母に手を上げていたのを見ました。

よく手を上げられていたと義母自身から聞いていましたが、私は最初は半信半疑でした。

しかし、実際に病人に手を上げる義父を見てショックを受けました。

自由がなく、幸せではなかったと泣いた義母の姿は今でも忘れられません。

私が義母を助けることはできなかったのか、義母を幸せにしてあげることができなかったかと、今でも悔やんでいます。

せめて、最後の最後に義母と2人きりで話ができて、本心を聞いてあげることができて心からよかったと思っています。

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