<この体験記を書いた人>
ペンネーム:くあら
性別:女
年齢:53
プロフィール:気付いたら1日中韓国ドラマしか観てない。
6年ほど前まで、5年間大手量販店で品出しのパートをしていました。
契約は、10時から14時まで週3日。
ニューオープンする店だったのですが、同時に品出しとして入った2人とも同世代で話が合い、3人で和気あいあいと仕事をしていました。
当時の店長は優しく、学校行事や子どもの病気にも理解をしてくれて、とても働きやすい環境。
それがガラッと変わったのは4年が過ぎ、人事異動で店長が変わってからです。
新しく店長になったのは、オープン当時まだ駆け出しで熱血で爽やかだった青年です。
私たちパートとも気さくに雑談していたその青年は、店長に就任するや急に自分の立場や意見を強く主張するようになり、様々な改革を進めていきました。
その一つが品出しのやり方です。
それまでは、商品が入荷すると社員(ほとんどが男性)がトラックから荷下ろしし、売り場まで運んでくれ、それを私たちパート3人を含め、社員全員で品出しをする形態でした。
もちろん社員は接客や他の仕事もしながらですが、手が空けば品出しをし、パートは定時の14時になると品出しが終わっていなくても快く帰らせてくれていました。
新店長になってしばらくした日のこと。
朝礼で「今日から品出しはパート3人に一任する」と宣言されたのです。
加えて「商品全てを出し終わるまでは帰宅を許さない」とも。
突然のことでしたが反論する間もなく商品が入荷し、品出しが始まりました。
慣れないトラックからの荷下ろしに時間を取られ、その日は16時を過ぎてようやく終わりました。
今まで14時終了だった私たちは昼休憩はとらず、帰宅してからお昼をとっていたので、結局16時過ぎまで休憩も食事もとれません。
その後新店長と交渉の末、14時を過ぎる場合は15分の休憩をもらって、交代で持参したおにぎりなどを食べてもいいことにはなりました。
しかし、そうすると当然終了時間が後にズレ込み、帰宅が17時近くなる日もありました。
そうこうするうちに、重い荷物の運び出しでパートの1人が腰を痛めて退職。
2人になったことで、ますます終了時間が読めなくなりました。
時期によっては、社員が手を貸そうとしてくれることもありましたが、そうすると新店長に睨まれるので、皆、申し訳なさそうに見て見ぬふり。
人件費削減のためにパートを削ろうとしているんだと耳打ちしてくる社員もいました。
残された私ともう1人のパートさんは疲弊し、話し合って仕事を辞めることに。
「辞めます」と伝えた時の新店長の「はいはい、承知しました。ご苦労様でした」と言う軽い答えは今思い出しても悔しく、理不尽な思いしかありません。
関連の体験記:え! 断れず毎日渡してたの⁉「マスク1枚ちょうだい」と娘にねだる友だちに、私が考えた作戦は...⁉
関連の体験記:「手伝いますよ」のひと言が命取り...44歳、義実家の町内会で「若手」と重宝される私の葛藤
関連の体験記:家計を握り、私を一切関与させない48歳夫。ある日「残高不足」を知らせるハガキが届いて...
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。