<この体験記を書いた人>
ペンネーム:めぴ
性別:女
年齢:49
プロフィール:認知症の父がいます。なるべく笑いに変えたい大阪人。五十肩に苦しんでいます。
「沖縄か、いいなあ」
もし私が犬だったら、私の耳はピンと立ったと思います。
それは4年前、私が45歳、父が79歳の時の秋でした。
友人と沖縄旅行に行った時の写真を見せていると、父がポロッと言ったのです。
父はすでに認知症で、色々なことができなくなり、興味も示さなくなっていたので、何かがしたいという言葉はほとんど聞けない状態でした。
その父が漏らした感想に、私の気持ちはすぐ固まりました。
行ったばかりの沖縄に、両親を連れて行こう! もう最後のチャンスかもしれないし。
そこから大急ぎで飛行機やホテル、レンタカーを予約しました。
母(当時73歳)も全く耳が聞こえなくなっていたため、2人を連れてツアーでの集団行動は無理だけれど、自分で予定を組める個人旅行ならいいと思ったからです。
父同様「沖縄行くん? いいなあ」と言ってきた一つ下の弟も途中から合流してくれることになり、旅行した翌月にまた沖縄を訪れていました。
途中なんだかんだありながらも、どうにか楽しく過ごし、最終日レンタカーを返還して空港に向かうことに。
ずっと運転してくれていた弟はここで別行動になったので、私がレンタカーの運転手でした。
慣れない道にちょっと不安でしたが、ナビの通りに行けばなんとかなる、と自分に言い聞かせていました。
しかし緊張もあったのと、ナビではやはり分かりにくいところもあり、目的地にほど近い側道で、違う道に入ってしまいました。
慌てて元の道に戻ろうとするも、複雑な交差点でまた間違えてしまった私。
少し走ってUターンしようとしても、一方通行だったりで、なかなかうまくいきません。
こんなこともあるかもとかなり時間的に余裕を持って出ていたのですが、だんだん焦りも募ってきました。
何と言っても、サポート役がいないのです。
ナビの操作、スマホを見る、電話をかけて聞いてみる、父も母もそのどれもできないのです。
どこかに車を停めて地図をしっかり確かめようにも、いつの間にか周りに何もない道を走っていました。
店も、脇道も、信号さえもいつまでも現れないのです。
どうしよう、どうしよう...そこでナビを見て、私はギョッとしました。
「海の上走ってるやん!」
後で分かったのですが、どうも新しいバイパスに入ったようでした。
道理で曲がり角もないはず。
周りは壁に覆われて景色は見えず、ナビの小さな画面ではこの道があとどれくらい続くかも分かりません。
泣きたくなる気持ちと、でも私がしっかりしなければという気持ち。
その二つが入り乱れ、ハンドルをギュッと握りました。
とにかくこの道を走り切らないことにはどうしようもありません。
ただ真っ直ぐ進みました。
やっとUターンできた時、ガクガクするような感覚でした。
必死の思いで何とかレンタカー会社にたどり着き、そこでは何事もなかったように手続きを済ませ、あとはぼーっと座っていた気がします。
1人でこの両親を連れてくるのはやっぱり無謀だったかなぁと反省しながら。
とにかく疲れた...でもまあ、ここまで来れたからいいか、あとは飛行機に乗って帰るだけやしね。
そう安心したのを覚えています。
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