<この体験記を書いた人>
ペンネーム:梅の実
性別:女
年齢:49
プロフィール:理不尽なことには納得できず時に衝突するタイプですが、そろそろ大人の対応ができるようになりたいアラフィフです。
私が8年前に勤めていた会社は、いわゆるITベンチャー企業。
社員は30人ほどで部署間の風通しもよく、とても元気のあるよい会社でした。
私は営業部のアシスタント業務を行いながら、そのサービスを開発するチームとカスタマーサポートチームとの橋渡し役もしていました。
会社の業績も順調に伸び、サポートを受けるようになった大手企業の社員が重役として2名出向してきたのは、冬の賞与評価前のこと。
その会社では、給料は年棒制だったものの、自分の上司と他2名(自分で指名できる)と、予め自分で立てた目標に対して話し合う社内評価制度があり、これが賞与にも影響しました。
その年、私には部署ごとに管理していたプロジェクトの進捗を一元管理にして、誰でも全体が分かるツールの作成に尽力し、結果を出したという自負がありました。
だから「賞与が楽しみだね!」と、別の部署ですが仲の良かった1歳下の同僚女性Kと話していました。
そしてその1カ月後、楽しみにしていた評価結果の日が来ました。
先に会社の業績についての報告があり、次いで各部署の実績報告。
その後、上向きな結果を出せたプロジェクト毎に貢献した社員が呼び出され、その中でも特に尽力した人が最後に呼ばれるという流れ。
同じ部署の後輩から「先輩、もうすぐ呼ばれますね!」なんて言われてちょっと照れつつも重役の話を聞いていると...。
「各部署の間で連携を取り、プロジェクトの進捗を皆で共有できるツールが完成しました」
きました...!
よし、私だ! なんて身構えていたのですが...。
「Kさんのおかげです!」
その場にいた全員がえっ!? という顔。
もちろん私も。
ですが部長達が拍手を始め、重役の前にKを呼び、金一封を渡しているではありませんか。
「え? なぜKが呼ばれているの??」
頭の中はぐるぐる...。
先ほど私に声をかけた後輩も、どうしていいのか分からないまま拍手をしていました。
Kを最後に報告会は終わりましたが、たぶん私の顔は引きつっていたのでしょう。
誰も私に声をかけてきませんでした。
そしてKも、その日何も私に話しかけてはきませんでした。
その日は業務を終えて帰宅したことを、あまり覚えていません。
帰宅後悔し泣きをしたことは覚えています。
翌日出社すると、何人か親しい同僚からメールが届いていて、「昨日の発表はおかしいから、上司に言ってみたら」と書いてありました。
そしてKは、普通に私に「おはよう」と言ったきただけでした。
自分の上司には、ランチにお誘いした時にあの評価はおかしくないですか、と話をしたのですが、上司が直接やりとりをしていたわけではなく詳細を把握していないこと。
Kは会社設立前からいたメンバーだし、Kがいたからこそ実現できたのでは...という言い方をされた気がした私は、もういいや、と何かが心の中で切れてしまいました。
Kとは社内で話すこともほとんどなくなり、彼女への思いは悲しいから悔しい、そして、だんだん怒りに変わっていきました。
他の仕事に影響がでるのはよくないことですし、どうにも納得がいかなかった私はその3カ月後に退職しました。
Kも私が辞めた2カ月後に自己都合で退職したそうです。
その後、まだ会社にいる元同僚から話を聞いたところ、重役が出向してきてから社内評価制度がおかしくなり、他にも出向者が増えて会社の雰囲気がまったく変わってしまったそうです。
そして現在、その会社は現在では例の大手企業の傘下となり、社名だけが残っています。
でも、ホームページで確認してもあの頃の社員はもうだれ1人残っておらず、まるで別の会社になっていました。
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