<この体験記を書いた人>
ペンネーム:しがない次男坊
性別:男
年齢:48
プロフィール:実家が雑貨屋の工場勤めです。2つ年上の兄がいるのですが、父(75歳)は店を私に継がせようとしています。
私の実家は雑貨屋です。
昔は「地域の便利屋」としてそれなりのステータスもあったようですが、そこは田舎町の悲しさ。
今では近くにできたスーパーマーケットにすっかり客を取られ、減収の一途をたどっています。
もう「小遣い程度」しか稼ぎのない店を、75歳の父は自分の代で閉めるつもりだと思っていました。
兄は大学を出て在京の建設会社に勤めていますし、私も実家の近くにはいますが、地元の工場でそれなりの役職を得て働いているからです。
ところが...父からとんでもない言葉が飛び出したのです。
それは週に1度、実家を訪ねて夕食を共にしている時のことでした。
「店はお前に任せようと思ってる」
青天の霹靂とはまさにこのことです。
「は? なんだよ、急に」
「だからうちの店のことだ。お前に譲るからな」
74歳の母はニコニコしながら私を見ていました。
「何言ってんだよ。俺も嫁もフルタイムで働いてるんだから、兼業なんてできるわけないよ」
「兼業しろなんて言ってないよ。店をしっかりやってくれりゃいい」
「大して稼ぎもないのに食っていけるわけないだろ?」
「そこを何とかするのがお前の器量ってもんだろう」
全く話がかみ合いません。
あまりの驚きに我を忘れていましたが、ふと兄(50歳)のことを思い出しました。
家を離れて東京に出ているとはいえ、そもそも「後継ぎ息子」は兄貴の方です。
「そもそも、店を継ぐって言うなら兄貴が先だろ? なんで俺に決まるんだよ」
すると今度は母が口をはさんできました。
「だって、あの子はもう東京で生活を築いちゃってるじゃない」
...ちょっと待った!
聞き捨てなりません。
「それじゃあ何? 俺はここで生活を築いてはいない、っていうこと?」
「いやあ、そういう意味じゃなくて、お前は近くにいてくれてるじゃない、ってことよ」
母は、私が言い返すとは思っていなかったようで驚いた様子です。
「しかしなあ、せっかく大学まで出て、一流企業で働いているのを辞めろとは言えんだろう?」
この一言で私も切れてしまいました。
「俺は専門学校どまりだからいいって? 田舎の工場勤めぐらいは辞めてもいいだろうって?」
私も好きな電気の勉強がしたくて大学に行きたかったのですが、すでに店の経営も苦しくなり始めていた時期でした。
二人分の学費は厳しいと思い、大学進学を断念した過去があるのです。
在京の大学に進んだ兄がそのまま就職してしまったので、私だけでもと思って地元の職を探しました。
別に親に言われてそうしたわけではありませんが、私なりに気を遣ってのことです。
「じゃあ、この店をあきらめろってことか?」
今度は父が食ってかかってきました。
「お前が大きくなれたのもこの店あってのことじゃないか。それをうまく回らなくなったからたたんじまえって、薄情なもんだ」
「そんなことは言ってない。なんで俺なんだ、って言ってるんだよ」
「お前を頼りにしてるってことだろうが!」
とりあえず嫁がなだめに入ってくれて、その場は終わりになりました。
父は、その後も店を手伝いに来て仕事を覚えろと言ってきます。
私も店に愛着がないわけではなく、何とかしてやりたい気持ちもあります。
ですが兄との差を、自分の甲斐性のなさのように言われたことが引っ掛かったままで...父の求めに応じられずにいます。
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