私の夢に「号泣して反対」した母。「私は娘の自主性を考えて自由に育てた」って...どの口が言う!?

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:むらまゆ
性別:女
年齢:44
プロフィール:専業主婦。46歳の公務員の夫、高校2年生の息子がいます。母は67歳の年金生活者、父は65歳の会社員です。

私の夢に「号泣して反対」した母。「私は娘の自主性を考えて自由に育てた」って...どの口が言う!? 8.jpg

私は44歳の専業主婦です。

夫は46歳の公務員、息子は高校2年、母は67歳の年金生活者、父は65歳の会社員です。

家に5人がたまたま集まった際に出た話に、私は困ってしまいました。

母は私の子育てについて「娘の自主性を考えて自由に育てた」とドヤ顔で息子や夫に言いました。

その言葉を聞いて私の心は荒れてしまったのです。

母は自由を履き違えています。

私が中学生の頃に、母は自分の人生は、自由とは程遠いものだったと話してくれました。

学年で5指に入る頭の良さだったのに、大学に行きたいと言ったら「女に学問はいらん」と祖父に言われ泣く泣く諦めたそうです。

その後演劇の世界に行きたいと言ったら「そんな世界はこの世にない」と祖父は大反対(祖父は演劇を全く知りません)。

しかしこの話の後、母は私に言いました。

「父の選択は正しかった、感謝してる」。

そんな母の子育ては、「自由」とは程遠いものでした。

中学生の頃のことです。

私がプログラミングの勉強をするために私立高校へ行きたいといったところ、母はこう言い放ちました。

「私立に行くならお母さんは水商売するしかないね。娘の為に人生を捧げる寂しい人生だなぁ...」

そして酒を煽り壁に頭をぶつけて、号泣しました。

その姿を見た私が泣く泣く「私、公立行くから」と言うと、母は笑顔で「別に私立でもよかったのに」とうそぶきました。

そして高校では、進路を決める時「高校卒業したら声優の養成所に行きたい」と言ったところ、母は再び自身が祖父に演劇を反対されたくだりを話した後にこう言ったのです。

「親の判断に間違いはない。あんたは全く才能がないから、お金をドブに捨てたくない」

それならと「高校卒業後は働きたい」と言った時も、私の意見はまるで無視でした。

「お母さんの夢を叶えてほしい。せっかく大学行ってもいいと言ってあげてるんだから行きなさい! それ以外認めないから!」

私は勉強が大嫌いでしたし、主要教科はとても人前に出せる成績ではなかったので、大学には行くつもりはありませんでした。

そこで「大学に行けば声優養成所に通ってもいいか」と聞いたら「親に折衷案出すなんておこがましい」と母。

首を縦にふらなかった私に痺れをきらした母は「公務員試験に受かったら就職を認める。落ちたら短大なりに入ること」と妥協案を出してきました。

私は運良く公務員試験に合格し就職できたので、母の呪縛から逃れたのです。

そして、公務員試験合格後1カ月も経たないころに、2人きりで話す機会がありました。

「大学に行きたかった。演劇もやりたかったけど、親に反対されたのが悔しかった。だから私はあなたがやりたい事に反対しない」

そう言って母は号泣したのです。

言っている事とやっている事が真逆で、怒りに震えたのを覚えています。

これのどこが自由なんでしょうか。

母はいつも「私の選択に間違いはない」ばかりでした。

現在、そんな母は息子に対しても同じ態度です。

「おばあちゃんの考えはね、基本はあなたの自由でいいけど、専門学校に行って資格を取りなさい。働くなんて言うな」

それはもう高圧的に言いました。

息子は、中学生の頃から高校卒業後は介護の仕事をし、働きながら資格を取ると決めていました。

それを反対された息子は、おばあちゃんの事が大嫌いになりました。

翌日、私は母に電話をして言いました。

「息子の子育ての責任は私がとるから口出し無用!」

母は泣きながら「心が壊れた。悲しい」と言っていましたが、もう譲りません。

今後、母から言われたことはスルーします。

大切な息子がいる私は、もうあの頃の何も言えなかった私ではないので。

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