<この体験記を書いた人>
ペンネーム:大家ぽん子
性別:女
年齢:64
プロフィール:64歳主婦です。8年前に亡くなった義父が隔離病棟に入院した時の話です。
64歳主婦です。
感染症で入院した人が体験談をインターネットで公開していることをワイドショーで特集しており、こんなに赤裸々に療養生活を公開しているのね! と驚きました。
今はSNSや携帯電話で外とつながることができますが、昔は隔離入院すると本当に外とのつながりがもてませんでした。
30年ほど前の話です。
詳しい病名は伏せますが、当時58歳の義父が、とある感染症に罹患し隔離入院することになりました。
体調がなんとなく悪いようだと義母から電話があり、家族で実家に向かいました。
義父の様子が確かにいつもと少し違ったので、すぐ病院に行ったところ「指定感染症の疑いあり」という診断でした。
そして家族は皆外出しないよう医師から伝えられ、義父の家にいったん帰宅しました。
入院になるかもしれないと聞いていたので、最低限の下着や洗面道具を荷造りしたところで保健所から連絡がきました。
病院から迎えの車が来て、義父はそのまま入院することとなりました。
接触した私たちも義父の入院した病院に向かい、同じく検査を受け、帰宅してからも結果が出るまでは自宅から出ないように指示されました。
家じゅう消毒もされましたが、幸いにも、私たちは次の日には日常の生活に戻ることができました。
ですが、感染した義父の隔離病棟での生活はかなりつらいものだったと聞きました。
体調はそれほど悪くなく、看護師さんの手をあまり借りず、入院生活を送れていたようです。
ですが、シーンと静まり返った病棟の一人部屋で、医療スタッフもマスクで顔が見えないので見分けがつかず、診察以外の接触を減らすため雑談もほとんどできなかったそうです。
公衆電話が病棟の外にあったため好きな時間に電話もできず、家族の面会もガラス越しでの短時間しか許されていませんでした。
それほどおしゃべりでない義父が、面会の時には堰を切ったように一気に話す姿や、ほっとしたような笑顔を浮かべていたのをよく覚えています。
義母も義父の前では気丈に夫をはげましていましたが、様子を見に行くと家でぼんやりと過ごしており、日常がいきなり変わってしまう怖さを思い知りました。
後で聞きましたが、つらい時、義父は軍歌や戦時歌謡を歌いながら自分を励ましていたそうです。
戦時中義父は学生だったと聞きました。
多感な時期を戦時下で過ごし、つらかった時に自分をはげましてくれたのは軍歌だと。
入院中の孤独が、戦時中の思い出につながるくらい辛かったのか...と衝撃を受けました。
その後義父は回復し、後遺症もなく帰宅できました。
今はスマホでやり取りすることもできるでしょうし、義父ほどの孤独は感じずにすむかもしれません。
それでも、「感染症にかかっても、ちょっと入院するだけよ」と軽く考えているような人には「家族も大変だし、隔離されるってそんなに気楽なものじゃないよ」とチクリと言いたい。
あの時の義父を思い出すと、いつもこう思います。
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