<この体験記を書いた人>
ペンネーム:まるおじ
性別:男
年齢:52
プロフィール:専業主婦の妻と高校生、小学生の子供2人の4人家族。単身赴任中で月1、2回自宅に戻る生活が3年ほど続いています。
昨年めでたく(?)結婚20周年を迎えた私と妻。
テレビドラマなどで、プロポーズ後に両親に結婚の許しを得に行くような場面が出るたびに、未だに恥ずかしくも情けない思い出がよみがえってしまいます。
あれは21年前の夏、私は当時31歳でした。
付き合っていた彼女(現在の妻)にプロポーズして無事にOKをもらった私は、ご両親に結婚の挨拶に伺うことになりました。
当日、彼女と自宅近くで待ち合わせをしました。
ところが彼女の表情はあまり嬉しそうではなく、何かを心配しているようでした。
理由を聞いたところ、出かける前に時間の確認のために両親に電話をしたところ、母の様子が明らかにいつもと違い、とてもイライラしているようだったとのこと。
「大事な娘の結婚の話をしに来られるのだから、そりゃあご両親も普段通りではいられないよ。大丈夫、しっかりご挨拶するよ」
私は彼女にそう声をかけ、それほど気にもかけず彼女の実家の門をくぐりました。
しかし、玄関先で迎えるご両親の姿は、私の楽観的な気分を一気に凍てつかせるものでした。
そこには、ダブルのスーツを着て殺気だった眼つきで私を無言で見つめるお父様。
着物姿のお母様は「ようこそ」と言ってくれたものの、その後は無言で固い表情のまま...二コリともしません。
まるで〇道夫婦のような不穏な空気を発しながら、ただじっと私を見続ける2人を前にサーっと血の気が引いていくのが自分でもハッキリ分かりました。
救いを求めて彼女を見ても、小声で「ごめんね...」と言ってうつむいたままです。
そして、リビングでお茶をいただきながら世間話をして雰囲気を変えようとするものの、和やかとはほど遠い雰囲気のまま時が過ぎていきました。
仕方なく、意を決して結婚のお願いをすることにしました。
しかし、重苦しい雰囲気に飲み込まれて極度の緊張状態だった私は、自分でも情けないくらいに、途切れ途切れの弱々しい話し方になってしまいました。
何とかご両親から了解はいただくことはできたのですが、この先ご両親と上手くやっていくことができるのだろうか...。
訪問から数週間は、不安でたまらない気持ちで過ごしました。
しかし、二度目の訪問からはご両親とも愛想がよくなり、私にとても優しく接してくださるようになりました。
初対面のあの緊張感はなんだったのか...。
ご両親が挨拶の日だけなぜあんなに無愛想だったのか不思議でたまらなかったのですが、後日、妻があの日の事情を教えてくれました。
なんでも挨拶の前日の夜にお父様は会社の接待で深酒をしてしまい、昼過ぎまで寝過ごしたうえ、二日酔いでまともに話をできる状態ではなかったそうです。
その姿にお母様が激怒し、私と妻が家に訪れる直前まで派手に夫婦喧嘩をしていたため、重苦しい雰囲気でのお迎えとなってしまったとのことです。
そうと知っていれば、あんなにあたふたせずにもう少しカッコ良くご挨拶出来たのに...と思うのですが、今となってはそれも含めて良い思い出です。
ちなみに、お父様は残念ながら5年前に亡くなってしまいましたが、最後まで私にとっては優しい「お義父さん」でした。
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