アメブロで「~こんな事を言っちゃあなんですが!~」を運営しているかづと申します。現在は夫婦二人と3ニャンとで暮らしています。私の嫁時代の体験を思い出しながら書いています。
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住所を移動していないだけで、私達は完全に義実家に同居する形となった。
舅姑が元気な頃は、3LDKの8畳の和室で布団で寝起きし、10畳の和室は姑の衣裳部屋、5.5畳の洋室は舅の書斎だった。
お客様が泊まる時は10畳和室なのに、私達が週末に泊まる時はその狭い書斎に親子4人で寝ていた。
もちろん書斎なので寝る部分は2畳ほどしかない。
ずっと釣り仲間で泊まりに来ていた人とは縁が切れ、10畳和室に泊まりに来る客などはいなくなってはいたが、姑が自分の衣裳部屋で嫁を寝起きさせたくなかったのだろう。
介護が始まってからすぐに舅姑の寝起きは10畳和室に、私達は8畳和室に変更した。
私は姑の夜中の徘徊防止の為に姑と寝ていたが、夜中の眠剤を処方して貰ってから姑はよく寝るようになったので、解放されて助かった。
そしてリフォームの際に、この先の介護を考えて10畳和室に舅姑のベッドを入れる事にした。
布団では何かと私の身体に負担がかかる。
寝てばかりいる事が無いようにと気をつけてはいるものの、やはり畳に敷いている布団で寝かせておくと埃を吸う率が高いので肺炎になりやすいと、昔看護学校の授業で聞いた事があった。
舅も半身まひがある分、ベッドにして嬉しかったようだった。
もちろんベッドガードは両脇に付けて。
廊下と風呂場には手すりを付け、風呂場の床を15cmかさ上げて新たな床を作って段差を無くして出入りしやすくした。
玄関には、一旦座って靴を脱ぎ着できるように椅子を取り付けた。
色んな面で自宅介護には向かない家だったという事が分かった。
さらに介護椅子も購入したのだが、夫と舅は介護用品が高額なのに驚いていた。
介護をしない者からしたら、これらは不要の工事や物品に感じるようで、夫も舅も無駄な金を使うなと言いたげだったが、「じゃあその時は(義母の世話を)お願い出来るの?」と言うと二人とも黙った。
リフォームの費用は公的な申請が通ったものを当てたがとても足りず、マンション購入時にスッカラカンになってからコツコツと貯めた貯金が一気に無くなってしまった。
当時はまだ介護認定などの細かい制度が今のようにまだ決まっておらず、姑が今で言う介護度がどれくらいかという判定も無く、よってそれに応じて使えるサービスの割合なども無い時代だった。
いわゆる姑の介護に必要だと思うサービスに申請しようとしても「息子さんご夫婦がご一緒なんですよね?」と言われて通らないものがほとんどだった。
舅の半身まひに関しても、障がい者認定を受けなければならなかった。
プライドのせいか舅はその認定を受けるのを渋り、せっかく来て頂いた福祉の方の聞き取りの際は、あれもこれも「できます!不自由していません!」と言う。
実際には杖をついてヒョコヒョコと歩き、何度もつまづいて転びかけていたにも関わらず、福祉の方の前では全力で足を上げて歩こうとしたり、風呂も一人ではきれいに洗えていなかったのに「全部自分で洗えます!」と言い切る。
舅の横で実際は出来ていないことを訴えても、本人が「できる!」の一点張りなので保留になった。
当然、夫が帰宅してからその一部始終を伝えたのだが、夫は舅を怒鳴りつけ、そして舅は素知らぬ顔で新聞を読み続けるだけだった。
舅は、半身まひの原因になった脳梗塞について、糖尿なども診て頂いている病院の専門科で継続して診て頂いていたので、次の診察に私もついて行く事にした。
舅は一人で行けると言い張った。
「お義父さん、福祉の方の前で一人で出来るって宣言したよね。先生に確認させて貰いますね」
舅のその顔は来られたら都合が悪い顔だった。
続く
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