<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ウジさん
性別:男
年齢:58
プロフィール:この春、妻(56歳)の母が亡くなりました。地方公務員をしている58歳の男性です。
昨年後半から体調を崩していた義母(82歳)が亡くなったのは、この春のことでした。
ぎりぎりまで入院を拒んでいましたが、心臓や気管支に問題がある状態で風邪をひいてしまい、全く起き上がれなくなってしまっての入院。
それからは1カ月足らずで帰らぬ人となってしまいました。
コロナの影響が出始めた頃でしたが、何とか一通りの葬儀を済ませました。
「あなたのことを『パパさん』、って呼ぶ人もいなくなっちゃったね」
妻(56歳)が寂しそうに言いました。
「孫が引き継いでるけどな...でもあっという間だったなあ」
「そうね、去年まではまだ何とかやってたのに...」
「そっか、あの日のホウレンソウが最後の手料理だったかな」
「ああ、そうだったね...」
2人でしばし思い出に浸りました。
昨年の半ばごろには心臓の持病やぜんそくがひどくなってきて、義母は家で静養している状態でした。
家事にもなかなか手が回らない状態でしたので、妻は毎日のように実家に行って何かと面倒を見るようにしていました。
私が行くといつも気を遣ってくれるので、あえてあまり行かないようにしていましたが、月に1、2回、妻と一緒に様子を見に訪ねると「あれ、パパさんも来て下さったの...」と言いながら立ち上がろうとします。
「どうしたの?」
「いや、パパさんにお茶を出してあげようと...」
妻が声を掛けると、気丈にそう答えます。
「いや、お客じゃないので、お構いなく」
「そうよ、お茶ぐらい自分たちで...」
「そうはいかないよ、パパさんにお茶も出さないなんて...」
固辞しても義母なりのおもてなしがあるのでしょう。
体がままならないことをひどく申し訳なさそうにしていました。
「ああ、パパさん、来て下さったのねえ...」
昨年の暮れに訪ねた時も、そう言いながら立ち上がろうとしました。
「いいから! お母さんは休んでて...」
いつものように妻が制止しましたが、その日は何としてもあきらめません。
「しょうがないなあ...分かったわよ、一緒にやるから...」
そう言って妻が付き添って台所に入っていきました。
お茶の用意かと思ったら、冷蔵庫の方に進みます。
「パパさんに、食べてもらおうと思ってね」
そう言って出してきたのはホウレンソウのお浸しでした。
「何でホウレンソウ?」
「今年の初物なんだよ、パパさん、好きでしょう?」
そういうと私の前に鉢を置き、お箸を添えてくれました。
私が結婚後に妻の実家を初めて訪ねた時にも、ホウレンソウをいただきました。
赤い根っこが残っているのを見て「根っこ、取らないの?」と妻に耳打ちしたのを聞いて「赤い根っこがおいしいの、きれいに洗ってあるから食べてみて」とすすめてきました。
食べてみると今まで食べたことのないほど甘いホウレンソウでした。
「いいのが取れたから、食べてもらおうと思ってね...」
私が食べるのをじっと待っています。
すっかり弱った体でほとんど家事はできなくなっていたのですが、久々に台所に立って、ゆでてくれたようでした。
「...根の赤が鮮やかでおいしそうですね」
「さすがパパさん、よく分かってること...」
そういえば、初めてこの家に来た時も出してくれたっけ。
初めての日を思い出す、とても甘いホウレンソウでした。
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