アメブロで「~こんな事を言っちゃあなんですが!~」を運営しているかづと申します。現在は夫婦二人と3ニャンとで暮らしています。今から30年ほど前のことを思い出しながら書いています。
一学期の成績がズタボロだった小学1年生の長男。
塾に通わせることを夫に相談したら、なんと夫が提案してきたのは山村留学にいかせることだった。
前回の記事:なんでそうなるん⁉ 長男をめぐる「夫からの最低な提案」にあふれ出た涙.../かづ
私はたまらず夫に聞いた。
「4年行こうが5年行こうが、どのみちこっちに帰ってくる。そしてこっちの中学にあがる。のびのびと成績を全く気にしない生活を5年も続けた挙句にこっちに帰って来て、浦島太郎の様になった長男が中学でまた落ちこぼれになるん?」
すると夫は更に驚く事を言った。
「向こうの生活の方が合うようやったら、そのままずっとそこに住み続けて中学も通えるらしい...」
「えっ?中学もそこで住み続けて、その後は??」
私は驚いて聞いた。
「そこの地域の林業や農業や漁業に就く事も出来るんやって...」
夫がそこまで考えていた事に、私は脱力した。
息子の将来の事を考えてと言えば聞こえはいいが、要はわずか小学校1年生の子をつかまえて、とりあえず山村留学に行かせて帰られない様な状況にし、将来どうするのかそっちで何とか自分で考えるやろうと言っている訳だ。
生活費と学費さえ支払っていれば、それで親の務めは果たしていると夫は考え、長男は勉強から、自分たち親は子育てから解放されて、みんな丸く収まって解決すると。
そして将来はその土地で働き口を探せばいいと、なんて名案なんだと夫は思ったらしい。
「あんたな...、林業や農業や漁業はアホでも出来る仕事や無いんやで...」
私は情けなくなった。
夫が長男を山村留学させようと考えていた事は、学校の担任にも話した。
担任はとてもとても驚きこう言った。
「成績不振を理由に山村留学ですか...。それも4年も5年も? あれって体験留学ですからだいたいが長くて1年ですよね? 山村留学は勉強は一切しなくていいとお父様は思ってらっしゃるんですか?」
そう、山村留学であっても行った先の学校に通って勉強はする。
山や海などの自然あふれる環境の中で暮らすと言うだけで、普通に学校には通うのだ。
「普通は1年程度なのに、4年も5年も行きっぱなしで...。それもそのまま中学もですか?そこで就職も探せと⁉」
担任は呆れると言うよりも、実の父親がこんな事を考えていた事にショックを受けていたようだった。
「お母様も(そんな状況で)大丈夫ですか?」
担任は長男の事ももちろんそうだが、私の事も心配してくれた。
「実は...」
1学期の通知表の内容を見た姑が長男に暴言を吐いた事を担任に話すと、担任は絶句した。
「でもそれを境に、勉強に関しては全く口を出してくる事は無くなりました。恐らくバカな嫁が産んだ孫は想像以上にバカだったんだと諦めたんだと思います」
担任はさすがに言われた内容が内容なだけに「それは良かったですね」とは言えなかったのであろうが、顔がホッとしていた。
これで職員室に怒鳴り込みに来る事も無い。
そこからは学年が上がるごとに各担任と相談し、成績は悪いながらも学年相応の学力を最低限身に付けることを目標とした。
逆に次男は幼稚園の年少に入った時には字が読めていて、後に卒園近くにはひらがなもカタカナも読み書き出来ていた。
姑は二言目には「子育てに口出しをするとまた自分のせいにされる!」と言い、子供だけで泊まらせろとも言わなくなった。
長男も今まで散々お婆ちゃんから言われて来た事が自分の首を絞める事になり、またあの通知表の一件からいわば見捨てられたかのように姑から構って貰う事も無くなったので、「お婆ちゃんが!」とは言わなくなった。
姑は息子にも孫にも期待が出来ないと気が付き、私への嫁いびりに集中するかのように嫌がらせが増したが、子育てに口出しされなくなった事が一番だった。
そうして、長男が4年生、次男が年中の1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こった。
続く
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