「それは間違っていた」といえる勇気を伝えていこう/岸見一郎「老後に備えない生き方」

「それは間違っていた」といえる勇気を伝えていこう/岸見一郎「老後に備えない生き方」 pixta_17718574_S.jpg『毎日が発見』本誌で連載中の哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回のテーマは「後世に勇気を残そう」です。

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前の記事「いいたいことをいわなければ「何を考えているかわからない人」になる/岸見一郎「老後に備えない生き方」」はこちら。

 

勇気は伝染する

「仕事をどうしても『損得』で捉えてしまう自分が嫌でたまりません。『NO』と思うことも上司に伝えられず、損を選んでしまうパターンから脱出するにはどうすればよいでしょうか」

人からどう思われるかを気にすると、いいたいことや本当にいわなければならないことをいえなくなる。「『NO』と思うこと」も上司に伝えられない。

しかし、厳密には、上司に伝えられないことはこの人にとって「損」ではない。人は「得」になることしか選択しないからである。後になって、上司に反論しなかったことが「損」だったことに思い至るとしても、少なくとも、その時には「得」だからいわなかったのである。

 

ある大学の運動部に監督とコーチの指示に逆らえず、反則プレーをした若者がいた。彼がそうすることに何の疑問も感じなかったはずはないが、絶対的な権力を前に逆らうことはできなかった。

だからといって、彼は責任を免れることはできない。その行為を選択した時には、そうすることが自分にとって「得」という判断をしたからである。

問題が発覚した時、監督らは彼を裏切った。反則プレーをすることを指示していない、自分で決めてしたことだ、と。このことを知った時、反則プレーは彼にとって「損」になった。

真実を語れば自分にとって不利(損)なことになるだろう、さりとて、黙っていれば自分の判断で反則プレーをしたと認定されることになるだろう。どうするべきかという葛藤があったはずである。

驚いたことに、真相を語ることを選んだ。黙っていることは自分のためにならないと判断したのだ。彼は自分の過ちを認めた。たとえ強いられてのことであっても、指示に従った責任を彼は免れることはできない。しかし、何もいわず大人をかばえば、そのことで後に何か見返りを得られたとしても、真実を語らなかったことを生涯悔やむことになると考えたのだろう。

監督もコーチもよもや彼が真相を公の場で語るとは思っていなかったに違いない。彼のような若者を見ると、世の中が変わり始めていると思う。

「自分のちょっとした失敗、特に人前での失敗はいつまでも後悔します。すると、妄想が膨らんで必要以上に気に病む時もあります。人は何もそこまでも思っていないのに。何が起きても気にしないで人の目を恐れずに生きたいとは思っていますが」 

他の人は自分のことをそれほど気には留めていない。横断歩道を渡る時に赤信号で止まっている車に乗っている人が自分をじろじろと見るのがいやだという人がいた。

たしかに、運転者は横断歩道を渡る人を一瞬見るかもしれないが、信号が変わって車を発進すれば歩道を渡った人の顔を二度と思い出すことはないだろう。

とはいえ、政治家が自分のした不正を国民はすぐに忘れるだろうと思うのは間違っている。政治家に限らず、私たちも自分がしたことには責任を取らなければならない。しかし、それは後悔することではない。

先の若者がしたことは不正ではあり、致死の可能性もあったのだから事の重大性に思い至っていなかったとしたら問題だが、悪意があったわけではないだろう。その意味で失敗(ちょっとした失敗ではないとしても)を後悔したに違いない。

失敗した時には後悔していても始まらない。どうすれば失敗の責任を取ることができるのか。
 
まず、可能な限りの原状回復である。この若者は今後運動を続けられなくなること、世間から非難されるというリスクを犯してでも真実を語ることが自分のしたことに責任を取ることだと考えた。したことをなかったことにすることはできないし、試合の前に戻ることもできないが、真実を語ることで現状回復しようとした。

次に、謝罪である。彼は反則プレーによって怪我をさせた選手への謝罪をした。

第三に、後悔したり、周りが失敗した人を責めるのではなく、今後同じ失敗をしないためにどうするかを考えることである。同じことが繰り返されることがあってはならないからだ。

いつまでも失敗したことを後悔するのは前に進まないためである。スポーツで優れた成績を収めるためには、たとえ失敗してもそのことを引きずらないことが必要である。

すべての人ではないだろうが、多くの人は競技や演技の結果だけを見ているのではない。勝敗だけでなく、結果に至る過程を見ているのである。結果を出すことはスポーツ選手にとって大切だが、手段を選ばず勝ちさえすればいいと考える選手は支持されない。

スポーツに限らず、失敗にこだわり、いつまでも後悔することには意味がないのである。

 

勇気を若い人に伝える

「それは間違っていた」といえるのは勇気である。一人が真実を語る勇気を持てば、その勇気は必ず伝染する。その勇気を持たないで黙ってしまえば、その臆病、あるいは卑怯もまた伝染する。


大人は若者たちに大きな影響を与える。本来は大人が若者の範になるべきなのに、自己保身に走り、真実を語らない政治家や官僚は、あの若者を見て恥ずかしくはないのかと思う。

キリスト教思想家の内村鑑三は、「われわれが死ぬまでにはこの世の中を少しなりとも善くして死にたいではありませんか」といっている(『後世への最大遺物』)。そして、何か地球にMemento(思い出になるもの)を置いて逝きたいと、その「遺物」としていくつかの候補をあげているが、人間が後世に遺すことができる、しかも誰もが遺せるという意味での「最大遺物」が「勇ましい高尚なる生涯」である。

言葉はいささか大仰だが、要は後世に勇気を残そうという意味だと私は考えている。この勇気は自分が取り組む課題から逃げない勇気である。

たとえ思うような結果を出せなくても、失敗しても現実に直面しなければならない。真実を語らないことは課題から逃げようとしていることの証左である。

真実を語り課題から逃げない勇気を今こそ若い人に伝えたい。

 

※この他の「老後に備えない生き方」はこちら。

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岸見一郎(きしみ・いちろう)さん

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書はベストセラーの『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

 

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この記事は『毎日が発見』2018年9月号に掲載の情報です。

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