アメブロで「~こんな事を言っちゃあなんですが!~」を運営しているかづと申します。現在は夫婦二人と3ニャンとで暮らしています。私の嫁時代の体験を思い出しながら書いています。
前回の記事:えっ...? 成績がズタボロだった長男への「夫と姑の考え」に絶句した担任
1995年1月17日5時46分。
突然地下から突き上げて来るような縦揺れがあり、その直後横揺れが数分続いた。
当時は家族4人で同じ部屋で寝ていたが、夫と私は目が覚め、子供達は起きる事無く寝続けていた。
「大きな地震だったね...」
そう言う私に、夫はリビングの様子を見て来ると言い寝室を出た。
リビングから声が掛かる事も無く子供達も寝ていたので、いつも起きる時間までもう少しあったから再び私も寝た。
目覚ましが鳴り、私はいつもの6時に起きてリビングへ向かったら、ドアの取っ手に手を掛けようとしたところで夫の大声が中から聞こえた。
「掛け時計が落ちてガラスが散乱しているから入って来たらアカン!電気が通ってから掃除機掛けるから、それまで入ったらアカン!」
あぁ、停電しているのかとその時知った。
私は限定品でお取り寄せして手に入れた掛け時計が壊れちゃったのかと、とても残念に思った。
10分くらい待った頃に電気が通り、リビングに明かりが点いて夫が掃除機をかけている音がした。
掃除機の音がやんだのでリビングに向かい、そっとドアを開いたら夫がテレビをつけてその前に座っていた。
「神戸がえらいことになってる...」
テレビ画面にはあちらこちらの建物が倒壊し、火の海になっていて、高速道路は倒壊し分断され、街は戦場の様になっていた。
その状況をテレビのニュース番組で見ながら、普通にいつもの様に朝食を作っていると、次男の幼稚園の役員さんから電話が次々と掛かって来た。
「今日は幼稚園あるんですか?」
正直言って、当時の私は「そりゃ幼稚園はあるやろ?」程度にしか思っていなかった。
なぜなら、ベランダからの風景も全く変わっていなかったし、実際、我が家の被害は壁掛け時計が落ちて壊れてガラスが飛散しただけだったので、何の影響も無いだろうと思っていたからだ。
「○○組の先生は神戸から来てるから出勤して来れないんじゃ?」
電話が掛かって来た役員仲間からそんな話しを聞き、私は咄嗟にみんながそれぞれ幼稚園に電話をしない様にと、詳しい事が分かり次第連絡するから幼稚園には電話をしないでくれとの連絡網を回した。
そうこうしている内に夫の上司から電話が入り、夫に代わる。
「○○店長が店の近くに住んでるから見に行ったら、建物の壁に大きく亀裂が入っていて正面玄関のガラスが割れてたんやって。そやから今日は店が開けれるかどうかわからんから、全員自宅待機になった。」
夫からそれを聞き終わる間も無く今度は幼稚園から電話が入った。
「園バスの運転手さん1名と職員(先生)2名が神戸なんで、今日の登園は未定です。また連絡します。」
連絡網を回し終わった私は、テレビで凄まじい被害状況を見ながらも、頭の中は
「今日は全員いるのか...、昼ご飯何にしようかなぁ...」
と気楽な事を考えていた。
更にその1時間後に会社からも幼稚園からも学校からも連絡が入り、とりあえず今日は休みだと聞く。
朝ご飯を食べ終わり、通常の日々と同じく洗濯機を回しながら食器を洗い、子供達はパジャマのままでリビングでゴロゴロし、夫はテレビを見続けていた。
この日は食材の買い出しに行く予定だったので、ちょうど夫もいるからと言う事で車を出して貰い、家族全員でスーパーまで買い物に行った。
スーパーではあちらでもこちらでも立ち話をしている人達がいて、口々に地震の被害の大きさを驚きとともに語っていた。
買い物から帰った私も家族も普通の日曜日の様に過ごしていたがそこに父から電話が入った。
「やっと電話がつながった!お前とこは大丈夫か!?」
実家の近辺は電話が全く繋がらない状況だったらしく、心配して何度も電話を掛けてくれていたらしい。
こちらは何も被害が無いと知ると、父は安心した様子だった。
「こっちは地域全員小学校に避難や!家から発電機4台持って来て、校庭を照らしたった!今から潰れてひしゃげた取引会社に行って瓦礫を撤去に行ってくる!ワシは大丈夫や!上弟も下弟も大丈夫や!」
父のその声で私の方が安心した。
その後母からも連絡があり、近隣の小学校に避難していると聞く。
翌朝、リビングのカーテンを開けて驚いた。
当時の住まいはマンションの4階だったが、高台に立っていたのでベランダからは見下ろすように戸建の街並みがそこにはあったが、いたるところの屋根にブルーシートが掛けられていた。
地震で瓦が落ちたのだ。
その後同じマンションの住民の話しから、家具の置く方向や食器棚などの戸が引き戸か開き戸かの違いで、物が飛び出て来て散乱し、家の中がぐちゃぐちゃになっているお宅もあると聞いた。
壊れたのがいくら限定品の掛け時計でも、被害がそれだけだったのなら助かったと言うべきだった。
自分ちの被害がその程度だったので、特に義実家の心配などしていなかった為連絡も取っていなかった事に気が付き、戸口から戸口まで2分ではあるが電話をした。
電話には姑が出た。
「こっちは大丈夫やけど、あんたとこ実家の親は大丈夫やったか?」
姑が私の親の事を気に掛けてくれるなんて。
「ええ大丈夫みたいです。父も母もそれぞれが近くの小学校に避難しているそうで。父は避難所から瓦礫の撤去のボランティアに行ってるようです。」
私がそう言うと、姑はホッとした声でこう言った。
「あぁ、良かった!そりゃそうやわなぁ。結婚した娘の所に無一文で手ぶらで世話になりに来るなんて、そんな図々しい事なんかようせんわなぁ!」
姑達もテレビの報道などを目にしているだろうに...。
続く
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