<この体験記を書いた人>
ペンネーム:Baltan
性別:女
年齢:55
プロフィール:海外在住の55歳バツイチの独り者。いろんな失敗を回収しつつ奮闘中です。
現在55歳の私が離婚したのは、10年前の45歳の時でした。
当時70歳の母は昔気質で、女は耐える生き物である、を体現してきた世代。
いわゆる「昭和の女」でした。
私が、結婚生活にちょっとした食い違いがあって相談するたびに、母からは「お前の我慢が足りない」の一言で一刀両断されてきていました。
確かにいつも「自分が耐えればうまく回るんだ」という事実を実家で見せられてきていますから、母と比べられれば私もそれ以上何も言えなくなってしまっていました。
母も亭主関白で嫌味な発言の多い父と折り合いが合わないと、愚痴をこぼしたことは何度もありました。
それなのに離婚したくてもできないのは、1人じゃ子供3人を育てていけないからです。
私は子供の時から、母に女1人で生きて行けるように手に職をつけておけ、と言われ続けてきました。
結果、私は手に職をつけたし、結婚してからもいつか1人になっても生きて行けるように仕事も続けていたのです。
離婚の予感があったわけでもなく、仲よく暮らしていた時から、なぜか旦那に頼る生活をすることを拒んできました。
そのおかげというと変かもしれませんが、離婚することで生活が立ちいかなくなるという心配はなかったのです。
いろいろあって子供も授からなかったので、体一つで夫の元から飛び出す決意をすることは、そう難しいことではありませんでした。
ただ、母には...絶対反対される、鬼の形相で説得される、絶縁されるかもしれない、という心配から、なかなか相談できませんでした。
私が悩んでいる頃、母も体調が優れないと聞くことが多くなり、いくつかの病院に行った結果「うつ病」の診断を受け、投薬治療を始めました。
私が海外で暮らしていたので、数年に一度しか会うことはなかったのですが、もういよいよ離婚に踏み切るしかないという頃に、ようやく叱り飛ばされるのを覚悟で話す機会が持てました。
その時...母が私にかけてくれた言葉に、驚きました。
「我慢を重ねて老後にこんなつらいうつ病になるより、あなたは今、方向転換する方がいい」
予想していた「何を甘えているのか、我慢しなさい、考え直しなさい」と叱責ではなく、まさかのアドバイスでした。
もちろん、避けられれば離婚しない方がいいのは確かだけれど、ずっと我慢して生きてきた人生の「ツケ」のようにうつ病を患った母にとっては、娘の私に同じ運命をたどって欲しくない、という思いが大きかったのでしょう。
私が戸惑うほどの「母の意外な反応」は、最後の一歩を踏み出せない「私の決意」を後押ししてくれました。
目の前に自分の老後が見えているかのようで、このタイミングがなければ私は離婚を思いとどまっていたかもしれません。
とはいえ、離婚してからも思いもよらぬ苦労があり、結局、私の決断が正解だったかどうかは分かりません。
でも、私が70歳になった時、誰かに離婚の相談をされたら、どう答える人生になっているのか? そう考えられるだけでも、母よりは余裕があるのかな。
そう、思うんです。
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